2015年5月16日
【土曜日と美大生と姉妹】
もうひとりのM奈。頭だけ、A奈と取り替えたみたいな彼女。背が高く美人で、低い声で話す。割に、早口であることに気づいたのは最近だった。
作業過程のチェックを請う時、M奈はすっと手をあげた。あれこれ話して、合点がいったらしい時にだけ、小刻みに3回、食い気味に頷いた。
M奈は一度目の指導時、「木の根が木の根に見えて吐き気をもよおした」という『嘔吐』(サルトル著)の一説を用い、わかりにくいらしいこの授業への理解を自分なりに求めた。「混乱させること」だと彼女は考えたようだ。
私は『嘔吐』を知らない。今、M奈の制作はまだ半ばだが、ポロックにも劣らない抽象感に満ちたビジュアルと、プロセスとが混在する表現が顔をのぞかせていた。切り込みを入れた寒天に、黒いインクをドリッピング(したたらせる)しながら撮ったイメージ。上っ面をすべり、下にもぐり込み、溶けるように、見えなくなっていった。
絶対に描けない。「本棚であってフォンタナでない」と、これは別の日、別のM奈の、別々のモチーフ(試しに撮ったいくつかの素材)を見て、S先生が言い放ったこと。お洒落だ。気に入ったからノートに書いたけど、指導に汲むことはなかった。(フォンタナはイタリアの芸術家。キャンバスにナイフで切り込みを入れた作品を多数制作した)
午後、Nちゃんとお台場へ。海沿いはスカスカしていて気持ちがいい。「西東京はもこもこなんだな」とも思う。ゆりかもめから見えた曇天は冬みたいで、私たち姉妹の育った東北にすら似ているように思えた。一方ライブハウスは高温多湿、「心の修学旅行が育ってる」というフレーズには冷や汗さえかいて、、
楽しみが過ぎると、いつも憎たらしい。自らの若々しさに寛容な、大人っぽい大人が集まる場所に、結局弱い。「けど私は?」と自問もするから、「やっぱり若者に!」と、Nちゃんに謎の宣言をしてゆりかもめに乗った。帰りは、都会らしい夜の景色だった。
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