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動物学者が死ぬほど向き合った「死」の話を読んで学びになったもの箇条書き


生を存続させる方法として老化を防ぐよりも新しい遺伝子を生む方がコスパいい

ひとつの命を伸ばすよりも複数の命を増やす方が大事だという今の世界

生殖活動ができるようになる若いうちに身体を丈夫にさせておいて遺伝子を残させ、老後は丈夫にしないのはその典型

たとえそれがデマであっても死の話題は共有したくなってしまう(カラスもそうだった)

“食事“という行為は
死(食物)を取り込んで→自分の生を支え(栄養分)→他人の生を支える(排泄物で)という死→生→生という循環作業
排泄物は死(食物)を通して出た排出物だから、排泄物には死の雰囲気が纏っている→人間は“死を忌避する本能“があるから、死の雰囲気を纏った排泄物に嫌悪感を本能的に覚えてしまう

今まで気にしてなかったのに絶滅するかもと知った時だけ、悲しいとか救わなきゃとなるのはどうなのか?仮にその生物が絶滅したら人間にとってどういう不都合な世界になるのか?
人間は生き物を絶滅から救おうとする唯一の種
→絶滅しそうということを知っちゃうと罪を感じてしまう

チーターは人間のいない自然界では1/20しか成獣になれない
そっぽむかれたりライオンに殺されたりする
そういう現場と毎日向き合っている生物学者たちはディズニー的な自然界の調和と平和の世界観が消滅する
捕食者に痛みを伴わずに食われる死に方(屠殺のようなもの)が1番マシなくらい、自然の動物はむごい死に方をする割合の方が高い
→仲間に殺される餓死病気で腐るなど

寄生虫が生物の進化を推進してる説
→寄生虫は色んな生き物に寄生するから、今まで寄生されずに生きた生き物に変化、進化の機会を与える可能性が生まれる

人間の知恵や技術(開発や開拓含め)によって殺された動物の死骸は他の生物が捕食してエネルギーになって補完されてる
捕食者に食べられずに残飯になるのが1番ダメ=飲食店の残飯大量廃棄で燃やしてしまうのが1番ダメ

他人の死を高確率で悲しむのは人間だけ
人間は他のペットや動物も悲しむ心があるんだと思いたいのは人間が生物界の頂点に立ってしまって孤立しているから寂しいのかも

ちょっと食べ物が足りないくらいの方が長生きできる

今なお多くの人が生は素晴らしものだと思っていて、死を際限なく遠ざけようとしている

人間は死を理性的に考えられる唯一の種、だから死に関係のありそうなウジとか排泄物(死んだものを食べて排出したもの)を忌み嫌う
死を意識できてしまうから死ぬ前に奇妙な行動をしてしまう、自分の死に関係がありそうなものを排除してしまう
もし他の動物みたいに日常的に死に関心がなかったらどうだったか?
でも死に関心があってこそ人間なのでは?

神が全能なら神はなぜ残忍な寄生虫をつくったのか=無神論者になった人の根拠

なぜ死ぬのか→次の生を生むため→もし子供がいなくても自分の死体をウジが食べたり(ウジの生命を支える)、焼かれた自分の死灰が植物の栄養になったりする

生きているうちに生きる意味を見つけようとすることができるのは今のところ人間のみなので、1番高度な生を幸か不幸か享受できているってことになる
生きる意味を見つけて生きるチャンスを人間だけが与えられているから、生きる意味みつけてみよう。生きる意味を見つけるチャンスを与えられなかった動物よりも良い生だったと思えるために





筆者がなぜそう思ったのかまでのエピソードが長めで少し根気がいるかもだけどとても面白い著書でした👏

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