九月二日(木)雨


 朝、数カ月ぶりにジャケットを羽織った。

肌寒く感じられたのが、雨のせいかはわからない。この頃は気分が落ち込んでいる。

体の抵抗力が剥がれていくような日々。

誰が嫌いだとか、仕事がうまくいかないとかのはっきりした理由はない。

もっと漠然とした、閉塞感に近い重苦しさを感じている。

本当に曖昧でつかみどころがないが、ただ正体不明のストレッサーがあることだけは確かである。

季節の変わり目に伴う低気圧のせいであれば、むしろありがたい。

それが過ぎればこの無気力から解放されるのだから。

 少なくとも、今私が感じている閉塞感は一時的なものではない。

それは確かに体にこびりついた、垢のようなものかもしれない。

あるいは病的なものだろうか。

決してゼロになることはなく、ふとした拍子に全身を支配してくるのだ。

これが体に染みついてからというもの、私の視界は濁ってしまった。

視力が悪いだけではこの現象を説明することは不可能である。精神的な症状だと思うからだ。

この目を通して見る世界は色彩が淡い。

子どもの頃に見ていた景色とは酷く異なり、今の世界にはみずみずしさを全く感じられない。

それは、私が世界に希望を見出すことも許してはくれない。

「お前は一生この目を通して世界を見続けなくてはならない」

というような、そんな圧力をかけられている錯覚に陥る。


 今日はずっと、そんなことを考えていた。

だが、決して自分が被害者だとは思っていない。

すべては自分が発端なのだ。

自分自身の意志で選び続けた世界線での帰結だけが、私が体験する現実である。


 その結論に至りながらも、私は弱い。

どうしようかと、この閉塞感と戦うべきかどうか私は悩んでいた。

気づけば五本ほどアメリカンスピリットを吸い終わっていた。

今はまだ二十一時三十九分。

このまま時間が止まって、永遠になってしまえばどれほど楽だろうか。

再び鮮やかな世界を見ることはできないのかもしれないが、このようなあり得ない妄想に浸ることだけは許されている。

とはいえ、今日は少し寒い。

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