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はじめからおわりまでーさらざんまい4、5話より

こんにちは、サブロクです。5月頭は忙しかったので、4話と5話のnoteをまとめて書きたいと思います。

とはいえ、今のところは書くことも少ないというか、けっこうストーリーに注目してしまって「読み解き」みたいなことは正直難しいです。

雷門のカッパ仁王像

GWに東京ソラマチまで出かけて行って幾原邦彦展を見てきました。2日目に行ったのですがけっこう混んでいましたね。

さらざんまいは一番最後の会場の出口近くの展示でした。展示会場ディスプレイにはOPEDの映像が繰り返し流され、そのほか監督のアイデアノートや原画などが飾ってありました。その中で一際目立っていたのは「仲見世通り」の模型でした。一稀たちが人力車で駆け抜ける、あの場所。最後にくぐり抜ける雷門の両脇にはカッパの仁王像が立っています。展示された模型の仁王像をよく見ると、向かって左が男性で右が女性(胸があった)のようでした。これに一体何の意味があるのか、はたまたないのか、気になるところです。

「ブスッといくぞ」ーエゴイズムの刃

お馴染み久慈兄弟の決め台詞ですね。30cm定規を取り出しながらの台詞ですが、作中の描写から察するに本当は刃渡り30cmの凶器なのかもしれません。(でも銃は本物……)

さてこの「ブスッといくぞ。」という台詞と同じように印象的な誓さんの「悪いやつが生き残る」という言葉。そして家族のためなら他人を傷つけることも厭わないという姿勢。このエゴイスティックな姿勢は「輪るピングドラム」で取り扱われ、「罪も罰も分け合うんだ」という言葉で一応の答えらしきものが提示されました。今作でもエゴイズムについて考えるようですね。

久慈兄弟がどのように描かれていくのかに注目したいと思います。

はじめとおわり、阿と吽

5話で出てきた最注目キーワードは「はじめからおわりまで、まあるい円で繋がってる」だと思います。対義語は真武の「はじまらず、おわらず、繋がれない者たち」でしょう。

はじまりとおわりというのはキリスト教で言うところのα(アルファ)とΩ(オメガ)であり、仏教で言えば阿と吽です。この記事の最初のトピックでも取り上げた通り、展示に並ぶくらいにはあの雷門と仁王像は重要視されていると考えていい……と思いたい。イクニのことだからわからないですが。

街中に散らばっている「ア」のマークやさらざんまいのバンクに出てくる「ア」を「阿」(カタカナのアの元の漢字)であるとすれば、これらのマークは「繋がりのはじまり」です。同時に、カワウソの「ウソ」を「ウン」つまり「吽」と読みかえることも可能かもしれません。ただの言葉遊びですけどね。

「阿吽の呼吸」という言葉が、繋がりの最上級の形の1つを指すことを考えるとワクワクしますね。


ということで2話分見て考えたことを簡単にまとめてみました。正直この2話は展開を追うだけで気持ちがいっぱいいっぱいでした。だというのに6話はアニメ史に残るとの噂ですから、どうなってしまうのか今から不安です。

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