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お洋服に客観視のできなさを教えてもらった話

 人から見られるということがよくわからない。

 私が何か服を着ていても、それはなんとなく覚えたテンプレ、もしくは自分の心地よさや可愛いという感動を優先した結果であって、そこに垢抜けという客観性はない。


 ちょっと話が飛ぶけれど、小学校から高校まで、楽器がとにかく苦手だった。特にリコーダーの指使いと出る音とドレミファと音符の位置が結びつかなくて、指使いと息継ぎだけ必死に覚えていた。いつまでも何も結びつかないまま、ぎこちない指の動きだけを覚えていた。

 大人になってから、YouTubeでエスニックな楽器に興味を持ち、純粋に鳴らすと音が出て楽しい、と思っていくつか楽器を買い、なんとなく鳴らして、旋律とも呼べないようなこちゃこちゃした音を繰り返して楽しんでいる。


 お洋服も、メイクも、同じことだった。長らく興味が持てなくて、とりあえずそこにあるものを着ていた。着ていて不快ではないものだけを選んでいたから、ノイズが多いものが嫌いで、やわらかい雰囲気で無地で着心地が良いものばかり選んでいた。無印良品やユニクロが自然と増えた。

 二十歳を迎えて、友人に申し訳ないくらいのダサさに焦りが生まれ、とりあえず勉強だ!とお洋服やメイクの参考書を買い、パーソナルカラーや骨格の診断に行き、タッチアップをしてもらったり、美容院でメイクをしてもらったりした。似合うと言われる型を知り、お洒落として身につけた。けれど、それは安心を買ったのであって、喜びはあまりなかった。

 骨格ウェーブ、ブルベ夏、アクティブキュート。

「顔はアクティブキュートだけど、雰囲気が穏やかだから、女子アナ系がいいですね」と診断時に言われて、鵜呑みにして、男性と会うときはできる限り膝上スカートにフリルやビジューのブラウスを合わせていた。

 女の子のコスプレだ、と思った。無印良品、ユニクロが落ち着く人間にとって、earthとかHoneysとかvisとかのふわふわはなんとも居心地が悪かった。

 それでも性欲に突き動かされて、私は抱かれるために女の子をやり抜いた。穏やかでおっとり、しっとりとしたキャラクターロールをしたし、おしとやかなミニスカートで女の子のコスプレをした。

 今は気持ち的にも年齢的にもミニスカートをもう着れないなぁ、と思う。



 働き出すと、仕事上の無難さと自分が心地良いの間を取る服をなんとなく着た。スーツ屋さんの出してるレディーストップスをなんとなく買っていたが、飽きてきていた。


 仕事帰り、友人と飲んでいると、ドローブという服が送られてくる通販があり、似合いそうなものをセレクトしてくれて便利だと言う。

 いいねえそれ、と思い、早速通販した。

 かわいい!と思ったものを買ううちに、自分の好きなものがわかってきた。


 アクティブキュートでウェーブでブルベ夏パステルカラーだと、服の系統が姫やお嬢様のイメージなのか、そのようなものばかり届いた。

 けれど、自分はどちらかと言うとおつきのメイドさんみたいなものばかり選んでしまっていた。

 柄のない、色の穏やかなものが自分は好きみたいだ、と知った。大胆な柄やデザインがあまり似合わない気がした。メイドさんも無地だしなぁ。

 きちんと見えるものも好きだった。だらしない感じのたっぷりしたものは避けがちだった。

 そんなわけで、いわゆるカジュアルと呼ばれる服があまり手持ちになかった。

 でも、ある日、届いたグレーのカシミヤパーカーの触り心地があまりにも良かったから、着てみようと思った。

 今までパーカーなんて一着も持ったことがなかった。たっぷりした服は好きでも、スタンドカラーのボタンシャツワンピースのような、どことなく真面目そうなものを選んでいた。


 しかし、着てみたらこのパーカーがとても似合った。

 衝撃だった。自分が今まで避けていたカジュアルというジャンルのものの中にも、似合う服があるのだ!別に避けなくてもいいのかもしれない!

 それから、ドローブではカジュアルに挑戦し、今まで買ったことのなかった抜けるようなブルーグリーンのだぼっとしたセーターを気に入って買ったり、ガウチョパンツを着たらとても快適で感動したりした。

 ずっとずっと避けてたものだったのに、似合うじゃん!という感動であっという間にタンスにカジュアルが増えた。


 プロが提案してくれる、今まで挑戦してこなかった服は、驚きや冒険をさせてくれたが、垢抜けにたどり着くのは難しく、どうしても着こなせないものもあった。

 

 客観性がないなりに、テンプレを知り、テンプレの中でも好みのものや好みでなくても似合うものを学習によって選べるようになった。
 けれど、テンプレを使いこなして、一段上の垢抜けにたどり着くことは、客観性がないゆえにできなかった。


 お洋服にワクワク感が失われ出した頃、友人にラフォーレに引っ張り出された。

 自分の愛する実用や真面目そうに見えるジャンルとはぜんぜん違うところだった。

 でも、ふわふわでフリフリでつやつやしたお洋服たちは私を魅了した。あれよあれよと私はロリィタを一着とヘッドドレスを買った。

 美しいものを着るのが恐ろしくてずっとお蔵入りにしていた。

 けれど、友人が耽美なカフェバーを始めて、是非着ていきたいと思った。 

 メイクについて、ここまでの話で出てこないことから察しがつくだろうけれど、一通りのことしか満足にできない身の上だ。

 私は、この服を着るには足りない。トルソーとして美しくない。そんなことわかってる。それでも、私は、このかわいいを纏って、あの耽美な場所にいたいんだ!

 強い意志を持ってお洋服を着たのはあれが初めてだった。

 カフェバーのセンスがいいマスターから「似合ってるよ」と言われ、胸を撫で下ろしたことは今もありありと思い出せる。


 私にとって、居心地の良いお洋服は、落ち着いていて、触り心地のよい地味なものだ。

 けれども、ロリィタというある意味で極端な服に、私は装うよろこびを教わったのだった。

 楽器を叩くと音が出て楽しいように、装うということは嬉しいんだね! 

 でもここに客観性はないから、垢抜けには程遠い。

 素敵なお衣装がここにあるのに、ばっちいトルソーでごめんなさい。

 せめて、もう少し良いトルソーになれるように、通勤電車の中でメイクの動画を眺めたり教本を読んだりするのだった。


 守破離の守=テンプレを覚えたとしても、守を破るためには使いこなすためにテンプレを外から見つめる客観性が必要なんだなぁ。

 でもその客観性がないからには、テンプレをたくさん練習する。リコーダーがわからない分、指使いだけでも必死に覚えて滑らかに動かせるように努力するみたいに、私は繰り返し、自分に似合うを反復練習して染み付かせていかなきゃなーって思ったのでした。


そんなお洋服から客観性による守破離の破を知った #そのの腑分け


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