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幽霊の孤独

自分が幽霊になっていることに気づくまでにそれほど時間はかからなかった。なぜか死んでいたのだ。死ぬときは痛くないし、苦しくもない。その発見は嬉しかった。もう二度と体験できないことであっても、気づいたこと自体は興味深かった。

しかし、私はすぐにがっかりした。幽霊であることのメリットがあまりにも少なかったのだ。例えば、入りたい場所があっても鍵がかかっていれば入れない。ふわふわ浮くこと、望んだ場所に瞬間移動することもできない。空腹を感じず寒さ暑さを感じない点はよかったが、それでもあまりの味気なさに、私は非常に落胆した。

そして、人間たちには私が見えない。私の声は人間たちに届かない。

日々、私は街を彷徨った。他の幽霊たちを見つけては、必死に声をかけようとしたが、無駄だった。幽霊である私たちは、互いを認識できても、コミュニケーションを取ることはできないのだ。この孤独な存在に、私は少しずつ正気を失いかけていた。

ある日、奇跡が起きた。小さな人間の子どもがこちらをちらちら見ている。私が見えているのだ!私は興奮のあまりぐっと近づいたが、彼は恐れをなして逃げてしまった。それでも、誰かに認識されたという喜びは大きかった。逃げられたということは、確実に見えているのだから。

時が経つにつれ、私は他の幽霊たちと一種の仲間意識を持つようになった。私以外の幽霊たちには、お気に入りの場所・行動があるようで、学校の階段を上り下りする者、コンビニをうろうろする者、喫茶店の席にじっと座っている者など、いろいろな存在がいた。

ある日、悲劇が起きた。私たちの仲間の一人が、突然ゴミ収集車に向かって突進したのだ。瞬く間にゴミとともに回収され、彼女は消えてしまった。私は、彼女が自ら消滅を選んだのだと理解した。なるほど。これで彼女は楽になれたのだ。このまま正気が続くようならば、私もそうすればよい。

そこで、私は目覚めた。

冷や汗をかきながら、夢の中での経験を思い返した。もし幽霊の設定が今回の夢と同じだとしたら、彼らはたいそう孤独な存在であろう。そして、幽霊は死ねない。もし本当に幽霊になってしまったら、孤独から逃れる方法はないのではないか。

夢の中の幽霊たちの運命を思うと、生者側でいることのありがたさを感じずにはいられない。しかし同時に、死後の世界への不安がなくならない。まったくの無になるのは恐怖。しかし、あのような孤独なら、いっそ何もなくなった方がいいのかもしれない。

さて、それはそれとして、「死んでからも悪さをするなんてけしからん!」と心霊番組を見ては憤っていた私だが、今では幽霊たちに対して優しい気持ちを持てそうである。幽霊って、本当は寂しいだけなのかもしれないからね。


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