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結局どんな人間になったら人生クリアなの?


学校教育が奪ったもの


私は元々、溌剌として元気な子だったが、
学校教育の中で自信を奪われてしまったように思う。
感謝している先生もいるが、それは全体の2割居れば良い方かも知れない。

私は皆にできないことができるが、「朝起きる」とか皆にできる当たり前のことができない、学校教育はできないことにフォーカスして私の自信を奪っていった。

復讐心からお金を稼いでキレイな女性を手に入れた

私は格闘技で優勝したり、独立して年1000万円、2000万円と稼いでみたり、整形して自分をキレイにしたり、
ブランドものの服を買ったりもしたし、3万円の寿司を食べたり、ウルフギャングに後輩や兄弟を連れていってドヤ顔していた。
マッチングアプリでキレイな女性を口説いてホテルに行ったり家に誘ったり、DMM.comでも見れない様なことも経験した。

そうやって、学校教育で奪われたものを取り戻そうとしたし、今も取り戻そうとしているのかもしれない。
復讐心から、他人が羨むものを全部手に入れて、突きつけて、自分が正しいのだと認めさせて屈服させたいのだろう。
皆ができることができる人間だけを優遇した彼らの逃げ場を奪って、自分の成果をつきつけて復讐してやりたいのだろう。

そうやって自分を誇れるものを身につけようとしてみたが、イマイチ自分を認めてあげられてない。

「他人から見てすごい」「他人から見て羨ましい」をいくら集めても、終わりはないのだとおもう。

地獄を抜け出すヒント

八木仁平氏の「自己理解チャンネル」を見ていて「外的動機」「内的動機」というものが触れられていた。

自分のモチベーションだとか、自己肯定感に関わるのは、外的動機(人から見てカッコいい羨ましい)ではなく、自分が好きだからやるという「内的動機」からくる行動だとのこと。

「もう大人だから、歌を歌っても仕方ないとか」「若い子にしか世の中は興味がない」とか、どこかで自分を塞いでしまっていることをとりあえずやってみる。
やってみると、「好きだと思っていたが意外に好きでないこと」と、「やっぱり好きなこと」と別れてきたりする。

ついついずっと続けてしまうこと。のめり込んでしまうこと。というのは一度手を出してしまうと分かりやすい。
見つかったら、後は一点集中したり、冷めたりしながら、ハマれることを探すのも良いのかもしれない。

お金を得ても女性を抱いても地獄が終わらない場合


「一角の人間になる」それ以外の人間になったら自分は死ぬのだ、生きていた時間も生まれたことも全て否定されるのだとどこかで思っていた。

また、
「異性に認めてもらえなければ、自分が行ってきたことはすべて世界から否定されるのだ」
とも思っていた。

だが、インフルエンサーも20代後半の大人が、10代からの指示を得るために本人でさえ苦痛でやりたくないことをやっていたりする。

「モテ」に学問として取り組んでいて実際に若い女性からモテているけど、人間的に未熟で病んでいる人もいる。

結局、その人生で勝つかどうかは自分が決めるのだ。
そして、「自分の目」という厳しすぎるジャッジからは逃れられない。

どれだけ、他人が認めるもので自分の周りを飾っても、自分が認めるもので自分を肯定してやらない限り、自分が埋まらない感じがするのだ。

命のかかった麻雀代打ちで無敗のまま引退した、桜井章一という者がいる。
彼の著書「負けない技術」によると、勝つことよりも負けないことが大事であると書かれている。


負けない生き方をするには、まず自分で自分を認めてやれる行いを自分でやってやる必要がある。
それがあった上での、お金も稼いで女性も手に入れるとか、それが正しい自己実現なのかもしれない。

というか、「十分なお金」「キレイな容姿」「好みの女性から心から愛されること」「それを手に入れ続けること」「社会的地位」など

手に入れなければならないものリストを全部集めた先に、負けない生き方があるのでなく、負けない生き方は案外身近にあって、
遠回りせずにそれに手を伸ばしてしまえば、何年も何十年も遠回りせずに済むのかもしれない。

ありがとうございました。

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