見出し画像

人生は50から! 信長公、アフリカへ行く 二十三話「鬼たちと話す」

登場人物紹介

織田信長(おだのぶなが): みなさんご存知、尾張(おわり)生まれの第六天の魔王。この神話×歴史ファンタジー小説のなかでは、本能寺の変で天使に救ってもらう。一般人、一介の冒険商人「小田信春(おだのぶはる)」と名乗り一番のお気に入りだった黒人侍弥助(やすけ)をアフリカへ送り届ける旅を始める。

弥助(やすけ): 本能寺の変でも、最後まで戦い、信長を守ろうとした黒人侍。気は優しくて力持ち。明智勢に捕まったが放たれ、その後は故郷アフリカへ信長とともに発(た)つ。

ジョアン/ジョヴァンニ: 没落する故郷ヴェネツィアでの商売に見切りをつけ、アフリカは喜望峰回りの航路を確立し勃興するポルトガルの帆船に乗って、はるばる日本へやってきた十七才の少年。宣教師ルイス・フロイスの依頼によって信長をサポートすることに。愛称「蘭丸」の名で呼ばれる。

助左衛門(すけざえもん): 堺の港で頭角を現し始めた商人。ジョアンと同い年。この物語では、大商人、今井宗久(いまいそうきゅう)の弟子。海外への強い憧れから、信長たちと旅を始める。のちの納屋(なや)または呂宋(るそん)助左衛門。

ゴブ太郎: ひとに化けて船に乗っているうちに、日本へ迷い込んできた妖精のゴブリン。信長に「ゴブ太郎」の名をもらい、ともに旅をすることに。

天使ナナシ: 本能寺で信長を救い、その後も旅を見守って同行する天使。

二十二話のあらすじ

西洋帆船キャラック「濃姫号」で、アフリカへの旅路を始めた信長公一行。平戸の姫の頼みを受けて、妖怪インネンの憑(と)りつきを払い、次の港、長崎へと入りました。長崎はイエズス会に寄進されたとはいうものの、実質はポルトガルの居留地。そこで、公は白人の少年であるジョアンを船長に見せかけることを思いつき、自らは従者と偽って港へ行きます。

二十三話

キャラック「濃姫号」が長崎に着いたとき、薄暗い雲が空を覆ってぽつぽつと大粒の雨が降ってきた。港の受付の西洋人は、下船した信長一行の入港手続きをルイス・フロイスの書状をもって信任をし、簡単に済ませて去って行った。

標準的なキャラック「濃姫号」のもうひとつ向こうの桟橋には、同じくらいの大きさの西洋帆船が停泊している。船の前で、雨のなかにうごめく影があるので何事かと四人が見ていると、それはぼろぼろの服を身にまとい、首に枷(かせ)をはめられて数珠つなぎにされたひとびとだと分かった。

西洋風の装いをしたどこの地域の者とも分からぬ風貌の男たちが、ムチをもってぴしゃりと奴隷のひとびとを叩き、急いで西洋帆船のなかへと送りこんでいく。

弥助が、自分の拳(こぶし)をギリリと強く結んだ。

「弥助、我慢せい」と信長が弥助の肩にそっと手を置き、制する。

「それにしても無体な扱いをするのう。今は戦国の世ゆえ、負けたところの者をしもべとして戦利の品にするのは常ではあるが……あれではまるで、牛か馬かの扱いようじゃな」

「堺の街に来てはった、海の向こうの船乗りはんには長崎だとか、いろいろな港の奴隷のはなしを聞きましたけど……。ほんまにひどいことをしはるんやな」

助左衛門も、顔をしかめた。

「あっ……見てください、彼らの頭を」

奴隷を船に乗せおわり、降りてきた男たちを、ジョアンが目で追う。

「むっ。あれは……角か?」

四人には、男たちの頭部に赤黒い小さな角が生えているのが見えた。

「……あとを付けてみましょうか」とジョアン。

「そうじゃな。すこし話もして、彼奴(きゃつ)らのことも聞いてみたほうが良かろう」

「……分かりました」

ジョアンは、進み出て西洋帆船から降りてきた男たちに話しかけた。

『こんにちは。僕は隣の船に乗る船長のジョアンです。あなたがたは、ポルトガルの商人ですか?』

少年が話すのは、流ちょうなポルトガル語だ。

『……我らは、奴隷を、現地で捕らえるために、雇われた者だ。ポルトガル人たちに、戦場や、いろんな理由で得た奴隷を、渡す仕事をしている』

すこしなまりの強いポルトガル語で、返事があった。

『今から、我らは、仕事終わりの酒を飲む。おまえもどうだ?』

男たちのひとりが酒にジョアンを誘う。

「酒を飲まないかと誘われています」と少年は信長に訳した。

「……ふむ。相席してみようぞ、蘭丸」

信長がジョアンにささやいた。

「……了解です、うえさ……いえ、信春」

ジョアンは即席の船長としてのふるまい、信長の偽名を呼び捨てにすることさえ、慣れない様子だったが、男たちは気が付いていないようだ。

『では、お言葉に甘えてともに飲みましょう』とジョアンは答えた。

『おお、酒だ酒だ!』

男たちは喜んだ。

そうして、長崎の港にある酒場に、信長一行と男たちは入っていったのだった。

(続く)

※ 戦国時代の長崎港近辺では、キリシタン大名の大村純忠が他の宗教の者には苛烈な対応をとり、寺社を潰したり墓を壊したり、キリスト教に改宗しなければ死、または奴隷としてポルトガル人に売り飛ばすという行いを認めていました。のちの天下人となった豊臣秀吉公は九州攻めのおりにキリシタン大名の地で行われているこのことを知り、バテレン(司祭)追放令を出すに至ります。ただし、このときは自己のなかでの信心は認め、ポルトガルや海外との商売には積極的で、支障も出ませんでした。有名な長崎の26聖人の殉教は、その後ポルトガルやスペインのキリスト教布教活動が、国々の植民地支配の前哨となっていることを秀吉公が見抜いて、見せしめのために強く弾圧に乗り出した結果です(個人的には殉教させるのではなく全員追放で良かったろうに、秀吉公も結構非情なとこがあるな、とも思います)。その後、キリスト教徒への弾圧は徳川の時代も強くなっていきました。

次回予告

鬼の角をもつ男たちと、信長公一行は酒を酌み交わします。

どうぞ、お楽しみに~。

※ 見出しの画像は、みんなのフォトギャラリーよりmitsu⚓︎ yokohama_cameraさんの作品をお借りしました。ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?