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~神話・民話の世界からコンニチハ~ 7 黙示録にミカエルさま、サマエルさまとともにモノ申す!


おはようございます! 本日はとても良く晴れそうです。

第7回は! 天使の世界を扱おうとしたのですが、あまりの数の多さや、それぞれの宗派で信仰されている大天使が異なり、三大天使、四大天使、七大天使などバラバラになっていて、それをまとめるとなると途方もなくなるので……。代わりに、典型的な終末思想のもとである「ヨハネの黙示録」を、大天使ミカエルさま、そして夜の天使または堕天使であるサマエルさまとともに、その終末が訪れる、という触れ込みのアヤしさ(笑)を切り込んでいきます!

今回の引用文献: 聖書(新改訳)昭和45年9月1日発行

翻訳: 新改訳聖書刊行会 発行: 日本聖書刊行会

印刷: 凸版印刷株式会社 製本: 凸版製本株式会社

発売: いのちのことば社

※ この年季の入った聖書は、高校の英語科教師だった父からだいぶ昔に譲ってもらったものです。当時のお値段で950円は決して安くなかったのではないかと思いますが、英語を教える人間として、西洋の思想を学ぶ必要があると考えて、英語科教師となった若いころに買って持っていたようです。

今回の引用文

イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣(つか)わして、これをしもべヨハネにお告げになった。

この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留(と)める人々は幸いである。時が近づいているからである。

……今回は、徹底的に何がアヤしいかをこの黙示録から見極めるために、冒頭の二つの文章を引用しました。それでは! ミカエルさま、サマエルさま、どうぞよろしくお願い致します!

ミカエル: やあ。カルデアという、今でいえば中東地域で信仰されていた元、光の神のミカエルだよ。始まりにして終わりに迎えに来る大いなる神さまのしもべとして、上下関係が付き、一方では熾天使(してんし)という最高の位にあった、はたまた大天使として、下級天使をまとめる立場だと、いろいろ属性が付いていって、あげくにドラゴンや悪魔を踏んづける役割を担うようになったんだが……。もともとの私の役目は、意地悪な精霊や悪霊を払う光の存在としての趣(おもむき)がとても強かったんだ。それは今でも続いているよ。悪霊退散は、私、ミカエルを心に呼んでもらえれば、この剣で払ってみせよう!

すー: はー。天使軍の軍団長、というイメージもとても強く、勇敢な戦士たちの守り手、という感じもあったんですけど……それは、後付けのイメージなんですね。

ミカエル: 軍隊、という存在そのものが、王権が文明に出来てからの仕組みだからね。はるか昔、まだひとびとが狩猟と原始的な農耕とで小さなグループを作って生活していたころから、私が軍団長というのは、すこしおかしな話だろう?

すー: 確かに……そうですね。

ミカエル: 聖書も、得るべき言葉はたくさんあるが、逆に怨嗟(えんさ)や、ユダヤ教徒、キリスト教徒を迫害した相手に対しての呪いの言葉も盛りだくさんだからね。……その集大成である「終末論」を述べた「ヨハネの黙示録」の怪しさ、おかしさを、この最初のふたつの文章から読み取っていこう、すー。

すー: はい。まずは冒頭の「イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。」ですね。黙示って、文字通り黙(だま)って示(しめ)すことですよね? それなのに、言葉で「イエス・キリストの黙示」って書いちゃってる。イエス・キリストが言ってるからすごいんだゾ! と、四つの福音書で書かれたイエスさまの言葉と行いからは到底離れた、権威づけをここでやっちゃってるわけです。そして続く「そしてキリストは、その御使いを遣(つか)わして、これをしもべヨハネにお告げになった。」ですが、ここで出てくる「御使い」は誰なのか、天使や精霊などの見えない存在なのか、それとも人間なのかも判然としない。推測で天使であろうと思わせようとしているように感じます。そして、その存在が「ヨハネにお告げになった」ですよ!黙示なのに言っちゃってるじゃん(笑) イエス・キリストではない何者かが、介在したってことが名言されているわけです。極端に言えば「ここから先のたわごとを信じるなヨ!」と暗に警告されてるようなもんですよね。

ミカエル: ははは、ご名答。そしてさらに怪しい内容なのが次に出てくる「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留(と)める人々は幸いである。時が近づいているからである。」だね。最初の文にも出てくるが、とにかく「すぐに起こるはずの事」や「時が近づいている」という、人を焦らせる言葉が重ねて使われている。大事なことなので二度言いました、だ。しかしすぐ起こるはずの未来が、イエス・キリストが十字架に付けられてからおよそ2000年、黙示録のような天使と悪魔の最終戦争は果たして訪れたかい?

すー: ……いえ。世界の終わりを言うのであれば、第一次世界大戦、第二次世界大戦という時代はありましたし、核兵器はいろいろな国々が持っているので冷戦時は核戦争後の世界を描いたアニメなんかが流行りもしました。そして、何年か前までは温暖化による大洪水や寒冷化による全球凍結が起きて、ひとが今のままでは暮らせなくなる未来を描いた映画なんかも。でも、今この時は、この地球上には今、悪しきドラゴンもいなければ魔王ルシファーもいない。あるのは、病気の蔓延で、穏やかで何もない一日が、本当はとても尊く恵まれているのだということに気づいた私を含む大勢のひとびとがいて。悪意というか……日本の神道では「荒魂(あらみたま)」の強いひとと、善意というか……「和魂(にぎみたま)」の強いひとはいる、という当たり前の事実です。

ミカエル: うん。だから、今でも「富士山がすぐに噴火する!」という話や「そのうち第三次世界大戦が起こって、核兵器の雨が世界に降る!」という話をすぐに起こるものだとまことしやかに告げて、憐れな妄信者からお金と盲目的な信仰を得る新興宗教はあるだろう? それと同じたぐいのものだった、ということさ。

すー: ひえー。聖書っていう書物に載っているくらいだから、その権威を信じて、本当に終末が訪れると考えていたひとたちは、少なくなかったんじゃないですか? まあ、私たちの時代でも1999年に自分は死ぬと思っていたひとや、2012年、マヤ文明の暦が終わる時に地球が滅ぶと思っていたひとは、私を含めて、少なからずいたように思います。

ミカエル: 話せば長くなるんだが……あのでたらめだらけの、イエス・キリストの主な教えとはまったく異なる「ヨハネの黙示録」が受け入れられたのは、イエス・キリストがこの三次元世界を去ったあとに、その教えの大弾圧があったからなんだ。今も、自分の置かれた環境が過酷で、安心できる家や信じられるひとが周りにない人間は、時として「死にたい」と思うことがある。そうした負の感情の受け止め手としての物語が、そうした終末論だということなんだよ。終末論とは、苦しみの世界に生きるひとが、こんな世界なら終わってしまえばいいと願うときに与えられる救いの書なんだ。ここからは、古来は闇または夜の天使……光と闇の属性が対立事項として考えられるようになってから、私に踏んづけられる堕天使、または悪魔としての位置となった闇の大天使サマエルに任せよう。

サマエル: ごきげんよう、すー。

すー: サマエルさま、よろしくお願い致します。

サマエル: そうした、虚構としての救いを認める、嘘つきをも愛する天使として闇や夜を守ると信じられていた存在が私の昔の姿でしたが、嘘やまやかしを極端に嫌う、極端な正義を求めるひとびとの間で、私の存在は悪しき蛇を象徴するドラゴンや、黒い翼の堕天使としてミカエルに押さえつけられる、というカタチでもってお話や絵に残ることとなりました。魔王ルシファーや熾天使ルシフェルの堕天の伝説と混ざりあいながら……。見えない世界のことをお告げしますと、ミカエルが踏んづける私という絵は、十字軍の時代は特に、自分の外の勢力を制圧する縁起付けとして重宝されてきました。しかし、そもそもの信仰としては、ドラゴンまたは悪魔として象徴される意地悪だったり、粗暴だったりする闇の感情を、ミカエルの光と慈悲でもって抑えるという、自己鍛錬のための、ひとの心の中を表すものだったのです。心の中である、この三次元世界では見えないところでは、そうした、欲望や負の感情と、親切と慈悲の感情が戦っているでしょう? それが、本当の天使と悪魔の戦いなのですよ。始まりにあり、終わりに迎えにくる大いなる神さまという存在は、ひとりひとりの人生の始まりと終わりを示してもいて、ひとは生まれてから死ぬまで、その光と闇の心の中の行き来をしている、ということなのです。

すー: 黙示録にある、世界の終わりは虚構で、ひとはいつでも光と闇の狭間で心が揺れ動くということなんですね……。確かに私も、先日通りがかりのちっちゃい子に「あっ、うんこ!」って言われて、その場はニコニコして無言で去りましたけど「てめーのほうがうんこだバーカ!」って思っちゃってましたからね!(実話) 外面は天使、内面は悪魔のいい典型例です(笑) あとで、悪く思っちゃったけどゴメン! って思い直しましたけれども。まさに心の中の悪魔と天使の戦いです(笑) って、こんなのいつでもあるじゃないですか! ……日本で言うなら荒魂と和魂のせめぎ合いですね。悪、というもの……過ぎた欲望と負の感情というのは、古来のシャーマニズムでも仏教でもユダヤ教でもキリスト教でも、イスラム教でも……人類全般の意識に共通する、劇的な終末論にすがるんじゃなくて、穏やかな日々をすこしづつ良いものにしようとする、本当のささやかな信仰のためには控えるべきものだと思っていますけど、悪感情を急にぶつけられたらとりあえずは悪感情で返すというのも、心の処方せんとしては、あながち間違ってはいないように思います。どこかで吐き出さないと、言われた辛辣(しんらつ)な言葉や、示された負の感情が自分の中でいつまでもぐるぐる回っちゃいますもん。方法としては、紙にそうした黒い感情をとにかく書いて、書き終わったらビリビリそれを破って闇に葬る、というのが効果があると聞いたことがあります。相手に抱いた悪感情をその場では抑え込んだものの、私みたいな、内面でちっちゃい子と同じレベルで、直後に顔だけ笑顔で心で暴言吐くのは一番悪いやつのような気もします。反省、反省。

……はっ、聖書の黙示録のアヤしさを暴こうとしたら、私の性格の悪さを自分自身で暴いてしまいました!(笑) ともあれ、光の大天使ミカエルさま、闇の大天使サマエルさま、どうもありがとうございました。

第7回「~神話・民話の世界からコンニチハ~ 7 黙示録にミカエルさま、サマエルさまとともにモノ申す!」は以上です。

すこしでも楽しんで頂けたなら、それに勝る喜びはありません。

ここまでお読みくださり、誠にありがとうございました。

次回予告

第八回は、初めは感情のとても荒ぶる神として現れ、次第に神さまとして成長していった物語が残る日本の「スサノオノミコト」さまのお話&インタビューを予定しています。お楽しみに~。

※ 見出しの画像は、みんなのフォトギャラリーからmurayama norikoさんの作品をお借りしました。ありがとうございます。

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