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刺繍の図像に込められたもの


ちくちく、ちくちく。

冬の夜の炉の前で、椅子に腰かけた老婆が手縫いをしている。

布に描いているのは、不思議な図像ずぞうだ。具体的な何かではない。簡略化された曼荼羅まんだらのようにも見える。

「おばあちゃん、この絵はなあに?」

それを見ていた孫の少女が、不思議そうに尋ねた。

「これはねえ、私たちのご先祖様が、この地で『お前たちの神は、ほんとうの神ではない』と言われてしまった時からこっそりと伝えてきた、古い神さまが残した魔法の形なのさ。お前たちを守護するお守りなんだよ」
「ええ……今、わたしたちが勉強で習う神さまは、わたしたちのご先祖様がずっと信じてきたものではないの?」
「そうだよ。どこの場所でも、たいていは新しい神さまが古い神さまを否定するものさ。だから、彫刻や絵に、姿かたちを作ってしまうと壊されるもとになるんだよ」
「勉強では、神さまは形にならないって教えてもらったよ」
「そうだねえ。でも、太陽の恵み、月の優しさ、風の安らぎ、水の尊さ、火の温かさ、土のあらゆるものを育てて帰すその巡り。木々や花々や虫や動物たちのいのち、そこには確かに不思議なものがあるだろう?」
「うん」
「この図像はね、そういう尊くてありがたいものを、そっと伝えていくものなのさ。……ほら、出来た」

とろとろと燃える火の明かりに、老婆の手によって完成した図像。それは、すぐに分かるものでもなく、小さくてシンプルだけれど、なんだかとても温かいと少女は感じた。

「持っていきなさい、ファティマ。ひとには決して見せないところに、いつも身に着けているんだよ」
「うん、ありがとう、おばあちゃん。わたしもその刺繍、覚えたいな」
「ああ、いいよ、おとなになったら、ファティマも子どもに伝えていくんだよ、この図像に込められた、昔々の私たちの古い神さまを」
「分かった、おばあちゃん」

老婆の孫は、針と糸と布とをもって、神聖な図像の受け継ぎを始めた。

おしまい

※ 世界中に、さまざまな不可思議な形を残す刺繍があります。それは、こうしてそっと昔の大切なものを、各地で主に女性たちが受け継いできたものなのでしょう。日本では、吉備真備きびのまきびさまが、唐に留学したとき、刺繍のすばらしさに惚れて日本へ持ち帰ったので、刺繍の神さまとされています。

※見出しの画像は、みんなのフォトギャラリーよりNEKOGETさんの作品をお借りしました。ありがとうございます。

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