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エッセイ|浅瀬の硝子Ⅰ_沈丁花

買い物に行く道で、沈丁花の花が一つだけ——蕾があつまった房の中の一輪だけ、咲いているのを見つけた。
もう桜でも咲きそうな暖かさの日には、あまりしっくりしない出会いだった。

沈丁花を見るたびに思う友人がいる。
それは彼女が沈丁花について書いた短歌を読んだことがあるからだが、それがどんな歌だったかは思い出せない。

彼女は中高の同級生だ。中学一年生のときに同じクラス・同じ図書委員・同じ文学部(文芸部のような部活)になって知り合った。あまりにも必然的だった。
受験塾での少しの知り合いしかいなかった中学校生活の始まりで、それだけ共通点の多い彼女はなんとも心強い存在になり……そうなものだったが、私たちが親しくなったのは夏休みを過ぎてからだった。一学期の三ヶ月間、彼女と私には距離を縮めるに十分な接点があったはずだが、それはほとんど生かされなかった。彼女は人見知りをし、私は冷たい表情の彼女を恐れていた。彼女ほど笑わない人は、それまでの私の世界にいなかったのだと思う。
しかし、二学期からその距離は縮まった。きっかけは夏休みに一度だけあった文学部の校外活動のときだったと思う。たしか、私が初めてAKB48が好きだという話を彼女にして——それもすごく熱を込めて話して、彼女が半分引きながらも少し笑ったとか、そんなことだった。

それから私たちはだんだんと親しくなり、六年間の学園生活の間、いつも近く過ごした。
強いて名前を付けるなら「相棒」が一番似つかわしいだろうか。しかし、背中を預けられる友でありつつ、身体が小さく弱い彼女は私にとって守りたい存在でもあったと思う。こんな風に見る相手は、後にも先にも一人だけだ。

別の大学に入ってからは互いに遠くなったものの、ときどき手紙を交わしたり会ったりしている。
次は来月、一年ぶりに会うことになりそうだ。
沈丁花が終わり、桜の蕾がふくらむ頃に。

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