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家づくりを考え始める

家づくりを考え始める。
きっかけは、無数にあった。

友人が環境問題に関心を持ち、コンポストや家庭菜園などについての発信を積極的にしていたのを目にしたのがきっかけ。

娘の野外保育から、田んぼの会につながり、地域の方々と一緒に田んぼに関わって、自分で育てたお米を食べる喜びを知ったことがきっかけ。

妻が洗剤を使わずに洗濯したり食器を洗う姿をみたのがきっかけ。

スーパーマーケットではなく、農家さんから直接買う野菜のおいしさを知ったのがきっかけ。

その農家さんの住むお家が、エネルギーの循環に沿った設計になっていて、太陽光温水機や薪ストーブのある暮らしの健やかさに触れたのがきっかけ。

高齢の大家さんが、今住む賃貸戸建てを手放したいと願っていることを知ったことがきっかけ。

正直、「家を買う」ということにはあまり魅力を感じていなかった。人間、何があるか分からないし、住む場所を固定するには、意義よりも拘束を感じていた。だったら「解約します」の一言で次の住まいに移れる賃貸の方が身軽で背負うものが少ない。だから、家は買いたくない。柔軟に、変化を受け入れながら暮らしたい。

何があるか分からない、というのは、ある意味真実だった。

家を作りたい。
買うのではなく、作りたい。作ってみたい。

家を既に用意された「容器」として考えて、そこに自分の生活を入れるような、そんな感覚でいた。その何とも言えない窮屈さや、痒い所に手が届かない感じを、いつも心の片隅に抱えていた。

家。どんなところに暮らすか。それは、どんな風に暮らすか、ということ。食べ、寝、語り、家族が形成される場。人々が行き交い(生き交い)、笑い、泣き、怒り、ぶつかり、抱き合う場。

既に用意された「容器」ではなく、自分でいちから「場」を作りたい。屋根、壁、床で囲まれた「内」だけでなくて、庭、外、も含めた、その場全体を。そこに、僕という人格を、佐藤家という家族を、その周囲に溢れる人々とのつながりを、具現したい。

そう思った時、家づくりは始まった。

この文章を書いている今、建物は愚か、土地も手に入れていないし、決まっていない。でも、家づくりは既に始まっていると思う。

だから、書き始める。考え始めたから、書き始める。家を作っていくその記録を、このノートに、少しずつ書き溜めていく。

そして家が建ったその日、引っ越しの荷物に囲まれて、全部読み返す。

家づくりの記録no.1
2023/3/30

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