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ないことより、あること

全てはある意味「意識」と「感覚」だと思っている。

楽しく豊かに暮らしている人には
「安心感」と「満足感(満たされ感)」
という 意識と感覚 があって
「自分は大丈夫」
「自分は足りている」
という感度がいかされている。

しんどく楽しくない暮らしている人には…
「不安感」と「不足感」
という”感覚“があって
「自分は大丈夫ではない」
「自分は足りてない」
という意識が漠然とした不安を感じてしまう。

「大丈夫、足りている」と感じている人には
余裕があって、リラックスしていて
ガツガツしてなくて、自分も人やコトも大切にしているし
分かち合うこともできる。
だから結局、人や豊かさに囲まれているんだ。

「大丈夫ではない、足りてない」と感じている人には...
余裕がなくなり いつも緊張して見えないものでも闘っている
いつも緊張して何かと戦っていて 
ガツガツしていて…

自分にも人にもコトにも
我慢がんばりを強要してしまい
自分の取り分が無くならないように守り続ける。

だから結局、気がついたときには
人やモノやコトに束縛し、執着し
いつまでたっても苦しさから抜けられない…

「大丈夫、足りている」と感じている人には
その意識が当たり前にあって“感覚” が備わっている
なぜあの人たちは、いつも闘ったり争ったり
苦しみ悩んでいたりするのだろうと
不思議に思っている。

しかし...
いつも「大丈夫ではない、足りてない...」
と感じている人には
その"感覚”が当たり前であり、
何であの人たちは、いつも能天気で楽観的にいられるんか
不思議に思っている。

もっとちゃんと 「シッカリ真面目ににやれや!」
と腹をたてて妬んでいたりもする。

大丈夫で足りてる人
大丈夫じゃなくて足りてない人

どちらの人にとっても
実は世界は同じように存在してるのに、
その人の「意識」と「感覚」が
その世界を違ったものとして見せている。

ただそれだけなのかもしれない。
それ以上でもそれ以下でもない。

だから、今年僕は
「安心”感”」と「満足感(満たされ感)」を
自分の中に育てることに集中してきた。

今までは後者の「大丈夫じゃない足りない」にフォーカスしていた…

そしてやっとこさ最近になって、
僕のなかで1mmも感じることのなかった
その 「意識」と「感覚」を取り戻しつつある。

真実の世界はやさしい。
すべてはある
そして自分は大丈夫。
ああ、こういうことやったんやって
垣間見える瞬間が増えてきた。

実際に、
あるかどうかは関係ない。
すべては、ただの「意識」やし「感覚」やし

さてゆっくり目を閉じて
深呼吸でもしてみよう^^
すべてはそこにある(在る)


今回の記事は、センターピースの亀井弘喜さん(犬飼ターボさん発案)から学んだことを記事にしました。


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