ライク ア ドーナツ
先日、1年ぶりくらいにミスタードーナツに行ったときのお話。
・その日のおやつ×1
・明日の朝ごはん×1
・冷凍保存する非常おやつ×1
「それだけでいいです。」と伝えたその刹那、高校生バイトであろう女性店員さんからこう聞かれた。
「紙袋でいいですか?」
「で」とは?
かみぶくろ・・・「で」・・・とは?
・・・失礼、おぢさんは久しぶりのミスドなので、紙袋以外の選択肢がわからないのだよ・・・
などと、心の中で呻き声にも似た言葉をつぶやきつつ、
口の中からは「アァ…エエト…ハイ…」と呻き声にも似た言葉を絞り出した。
確か前にお客さんの会社に持っていく用に15個ぐらい買った時は紙の箱だったから、対になる選択肢はアレのことだろうか・・・?
数が少なくても箱がいいという人もいるんだろうなぁ。
などと灰色の脳細胞をフル活動させていると、
「紙ナプキンセットは入れておいていいですか?」と追撃のひとことをくらった。(言葉の細部は違うかも)
・・・失礼、おぢさ(以下略)
同じく「アァ…エエト…ハイ…」を絞り出し、提示された金額をお財布から絞り出し、絞り出されるように店を後にした。
車まで移動し、キィを回してエンジンをかけながら、ふと朝に見たテレビを思い出した。それは、とある芸人さんが結婚1周年を記念して、奥さんにケーキを作るという企画。
なんせスッキリしない
ながら見だったのでちゃんとは見ていなかったのだが、おそらく彼は普段料理をしない人なのだろう。少なくともケーキは初めて作ると言っていた。
高さ●mmといわれたら、●mmを定規で図って作っていた。
そんな彼が「バターを常温にする」というレシピ項目に対し、
「俺はこいつの常の温度を知らないから。」とぼやいていた。
なんか他にも色々ぼやいてた。
しかもステイホームのご時世だから、撮影場所は自宅。カメラを回しているのは奥様。終始スッキリしないご様子でひたすらケーキを作っていた。
そのスッキリしない、けれどカッチリしている調理スタイルとぼやきに、
「さすがお笑い芸人、面白いこと言うなぁ。」
と思ったのが朝のこと。
そして舞台は再びエンジンのかかった車の中に戻る。
「ハッ!一緒だ!!」
私の頭はスッキリと霧が晴れた。
常という概念
私はミスドの常の提供状態を知らない。
にも関わらず店員さんの対応がそうであったのは、私のわがまま極まりないボディ()が
「あぁコイツ、常にミスド食ってそうな体型してるな。常に糖分を追い求め続けてる顔してんな、デブが」
という印象を与え、毎日買ってる人と同じ対応をさせてしまったのかもしれない。私の体型のせいで、うがった先入観を与えてしまったのかもしれない。
意図しない印象操作というやつなのかもしれない。
ごめんよ店員さん。オレがDeVuなばっかりに・・・
いや、そう結論づけるのは早計だ。
もしかしたら店員さんの接客に穴を作ってしまったのは、私の立ち居振る舞いのせいなのかもしれない。
紙袋でいいですか?そう聞かれた時、私は
「他になにかあるんですか?」とは聞かなかった。
店員さんからすれば「紙袋でいいですか?」の問いに対し
「Yes!」ならば「コイツはミスドの提供形態を知っているんだな。甘いもんばっか食いやがってデブが」となるし
「What?」ならば「 はっはーん、こいつ素人だな。チッめんどくせーな。デブが」
となるわけだっ!!!!
そう、つまりこれは店員さんだけが悪い話ではない。私にも否はあるのだ。
同様にバターの常温を知らなかったお笑い芸人の彼は、バターに対してと「お前が常温を俺に知らせてこなかったんだろ?」という態度で接していたということで、多少なりとも否は存在するのだ。
本当に気をつけないといけないこと(ここから本番)
今から、本当に気をつけないといけないことを書こうと思う。
なんだったらここまでの文章はおまけで、読むべきはここから下だけでいい気さえする。
私達は日頃しばしばこんな勘違いをすることがある。
自分が知っていること=相手も知っていること
という勘違い。誤解だ。
4階でも6階でもなく誤解。
自分自身が時間やお金といったコストを掛けて特別に学んだ趣味や仕事に関するようなことについては、こういった誤解はしづらいように感じる。
「自分は興味があってコストをかけ学んだことだけれども、もしかして目の前にいるこの人は、この事について学んでいないかもしれない。」
意識して学んだことなればこそ、自分の中に「特別なもの」という感覚があって、他者の状況について頭をめぐらす余地があるからだ。
しかし、例えば学校の勉強で習った小学校の常用漢字や日本語の話し方、例えば車の運転、、、など当たり前のように昔からやってきたことについては、意識をそちらに向けづらい。
特別に学んだわけではないから、皆知っているもの、できるものと勘違いをしやすいのだ。ただしMT車の運転は「特別」の意識に入るかも知れないが。
生きていく上で自然と得たものについては「知っていて当たり前」を生みやすいような気がする。それが無自覚に特別なものの可能性はあるのに。
誰あろう私も意識して気をつけないとやってしまいそうになる。
というか、おそらくたまにやってる。無意識で。
世の中には「四」という漢字が書けない人もいれば、車に乗ったままでマクドが買えることを知らない人だっているのだ。多分。
意識づけ
なぜ私は意識しようと心がけているかというと、かつて知人にこのタイプの人がいたからだ。
当時、私は20代中頃。一方知人は50歳前後のオッサン。
私は知らないことがあると割とすぐ聞くタイプなのだが、その人に何かを聞くとすぐ「ハァ?」と言われた。お尻につくのは「そんなことも知らんの?」
その言い方にあまりにも腹が立って
「●●さんは知ってることなんでしょうが、僕は知らないから聞いてるんですよ。だから『その知ってて当たり前だろそんなこと』っていう言い方マジでやめてもらっていいですか?すげー不愉快ですわ」的なことを言ったことがある。
この事があったから、言い回しや対応には気をつけようと思うようになったのだ。
ちなみに直接言ってしまった私の対応はハタチを超えたオトナのすることではないし、相手は大人の対応でその場を収めたんだろうなと、今は思う。
しかし、いまだに「間違ったことは言ってねぇな」とも思う。
この経験は、今のお仕事には強く生きている。
講師をやるときもそうだし、そもそもお客さんに説明するときもそう。
決して相手をバカにすることなく「相手はこれを知らないかもしれない」を心に持つと、ドーナツの円環のようにまるくつながった人間関係が作れるんじゃないだろうか。
同じくドーナツの穴の部分みたいに、いらないものはポイしつつだ。
いいことあるぞ〜
フフフンドーナッツ♪だ。
ポンデミックアニマル。
たんぽぽによく似たマスコットキャラクターのあいつを書いたつもりが、なぜだろう、ブリーチに出てきたコンにも見えるし、大阪のおばちゃんにも見える。
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