祖母とお別れをしてきた話

普段はwebデザインの勉強としてサイトレビューなどを書いていますが、今回はちょっと、まったく関係ない独り言を。


3日前の朝、私の最後の祖父母である、母方のおばあちゃんが亡くなった。92歳の大往生だった。

実は、祖母との具体的なエピソードは、あんまり思い出せない。

3日前の土曜日のお昼過ぎ、母からその連絡を受けて、その後は色々手につかないくらい頭は真っ白で、ショックではあったんだけど。なんだかピンとこない感覚もあった。それでも、そこから3日間で考えたこと、感じたこと、書いてみたくなって、完全に自己満足でしかないけど、書いてみる。

祖母とのエピソードはあんまりない

母方の実家には、中学生くらいまでは、毎年夏休みに遊びに行っていた。それでも、祖母との思い出は、あんまり具体的に浮かんでこない。

私は、おじいちゃん子だった。祖父は母達に言わせると、頑固で亭主関白。でも、私には「たくさん遊んで、優しく笑ってくれる、大好きなおじいちゃん」だったし、祖父が亡くなった時、小学生の私は悲しくてショックで、たくさん泣いて、「絶対に誰にも死ねとか、死にたいとか、言わない」と誓ったのを、今でも覚えている。

一方、祖母のことは、正直、昔からあんまり得意じゃなかった。

なんでかは考えたことなかったけど、改めて考えてみると、とてもハキハキとよく通る声で、結構おしゃべりだった。亡くなった時には閉じていた口が、火葬前まで少しずつ開いてきて、親戚のみんなは「まだ喋り足りないんだなぁ」と、祖母の顔を見る度に笑っていた。

私は、少し音に過敏なところがあって、祖母の耳が遠くなるのと反比例して大きくなるその声が、時々きつく感じられるその口調が、あんまり得意じゃなかったのかも、と思う。別にひどい態度を取ったりしていたわけじゃないけど、ただただ、あんまり積極的には親しくできなかった。

でも、思い出そうとすると、具体的なエピソードはあんまりないけど、ただ、いつもニコニコしていたこと。電話越しだと一層大きすぎる明るい声。毎年ずっとやり取りしていた年賀状。いつも私に、元気にしてるか?健康には気を付けてな、と気遣ってくれていたこと。趣味で作った手芸品をたくさんくれたこと。

思春期には鬱陶しく感じてしまったこともあったけど、明るくて優しくて、素敵なおばあちゃんじゃないか。今更気づいた。本当に今更だ。本当に何やってるんだよ、私。

祖母が言っておきたかったこと

お葬式で、喪主である叔父が、祖母について語る場面があった。2週間くらい前に、叔父は祖母に「言っておきたいことがあるから、メモっとけ」と言われて、メモを取ったそうだ。内容は、

「長い人生だったなぁ。楽しい人生だった。」

それだけ。

こんなにシンプルで、こんなに最高に幸せな言葉ってあるかなと思った。

すごいなと思った。よかった。本当によかった。その場にいるみんながそう思ったんじゃないかな。92年間、もちろん楽しくないこともいくらでもあっただろうけど、最期の数年だってずっと癌と戦って苦しかっただろうけど。そう感じた最期なら最高だし、みんなが悲しまないように遺した言葉でも最高だし、たぶん、きっと両方なんだろうな。言葉としては、ただ自分の人生に対しての感想なんだけど、なんだか、周りの人への思いやりを感じずにはいられなかった。

なかなか歩み寄っていけなくてごめん。可愛くない孫でごめんね。私は、少しはそんな人生の楽しみになれただろうか。昨年末、実家に帰省した時、そこからさらに3時間もかかるから…ってやめてしまったけど、おばあちゃんに会いに行けばよかった。でも、こんな孫なりに、おばあちゃんが生きているうちに、ウエディングドレス姿を見せたら、きっと喜んでくれるかな、とかずっと考えてたよ。間に合わなかったけど。でもそんなことよりも、ただ、こんなに素敵で思いやりに溢れた人だと気づいて、もっともっと多くの時間を過ごして、話して、ちゃんと向き合えたらよかったのに……

そういう後悔してもしきれない感情もたくさんあるんだけど、でも。
おばあちゃんが、そんな風に言い切れる人生でよかった。そんな風に言い遺したいと思える人たちに囲まれた人生で、本当によかった。

長い間、そして最期まで、たくさんの優しさと思いやりをありがとう。
素敵な言葉を遺してくれて、ありがとう。おばあちゃんは偉大だ。

まだまだ続くはずの私の人生

まだまだ続くはずの、ぼーっとしていたら一瞬の、でも明日なのか数十年後なのか、いつ終わるのかわからない、私の人生。

ありきたりだけど、「1日1日を大切に。無駄にしないように。やりたいことはやって。後悔しないように。思い切り楽しんで」生きられたらいいよなぁ。

けど、まぁ実際、私には無理だと思う。そんなに24時間365日大切に真剣に一生懸命生きられるような、できた人間には、私はなれないと思う。

思うけど、せめて、大事な選択や瞬間には、一生懸命向き合って、後悔を一つでも減らせるといい。生前おばあちゃんと向き合えなかった分も、周りに生きている人たちとちゃんと向き合って、ちゃんと素敵なところに気づいていたい。ちゃんと人生を楽しんで、周りの人たちも楽しいと思える瞬間が、一つでも多いといい。

それで私も、最期に「長い人生だったなぁ。楽しい人生だった。」って言えるような、周りの人にそう言い遺したいと思えるような、人生を歩んでいきたいと思った。

そんなことを3日間考えながら、東京に戻ってきて、一人でやっと泣けました。

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