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真実の愛の話 〜Side B〜

上海浦東国際空港、深夜の第2ターミナル。

明滅する飛行機のライトと、大地を彩る誘導灯を眺めながら、私はあの人の、整った白い歯を思い出していた。

あの人の微笑む唇からは、いつもキレイに磨いているんだと自慢する、白い歯がのぞいていた。

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私が生きるために重ねた嘘を、あの人はことごとく受け入れてくれた。

これ見よがしのネックレスは親からもらったのでも、あの人の「ライバル」から贈られたものでもなく、ただ演出のためにネットショッピングで手に入れたまがい物。本当の値段はランチ一食分にも満たない。

男の人と付き合ったことがないというのも、昼の仕事をしながら夜にバイトをしているというのも、学歴も、年齢も、すべて嘘。そこにあるのは、私がいま彼にどんな情報を与えているか、それによってどんな私を演出するかということだけ。

それでも、あの人は私に夢中になってくれた。

強引になりきれないけど、少しずつ私との距離を詰めようとするその仕草は、愛おしくもあった(焦ってキスを迫ろうとするのは、少し怖かったけど)。

ひょっとしてこの人は、優しい笑みとともに、このまま私をとりまく嘘と一緒にまるごと私を包んで、ここではない場所に連れて行ってくれるかもしれないと思った。その気持ちは嘘じゃない。

でも、それは望んではいけないことだった。こうして生きると決めたときから、私には望んだ人とともにあることなど、許されていないのだ。

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安徽省の、お世辞にも華やかとはいえない地方都市で生まれた私は、父と母、そして母方の祖父母のもとで育った。

放任主義の名のもとに私に関心を持ってくれなかった父と、すべてにおいて私を束縛しようとする母、そして母の言いなりになるしかない祖父母。その中で私は、母に「とにかくいい大学に入れ」ということだけを聞かされて育てられた。すべてのスケジュールは、「教育」に充てられた。

家族が世界のすべてだった私は、母の期待に応えようと必死に「教育」に喰らいついていた。しかし初中中学生に上がったあたりから体と心がついていかなくなり、成績が伸び悩むようになった。それに反比例するように、母の「教育」は熾烈を極めるようになった。

机に向かい合う日々が永遠と思えるかのように続いたあと、うつろな意識のまま迎えた大学受験は、見事なまでの失敗だった。その日からは、母も私に関心を持たなくなった。

美容院の仕事を紹介してもらったり、親戚のいる工場で働かせてもらううちに、気がつけば私は上海にたどりついていた。何を考えてそうしたかはわからない。ただ、この場所の魔力に引き寄せられていたとしか思えなかった。

そこで私は、「KTV』と書かれた極彩色のネオンの扉を叩き、「真実の愛」を振りまくお仕事を始めた。

武器は、親から学ばされていた日本語だった。それまでに貯めていたなけなしのお金をはたいてドレスと化粧品を買い揃え、それぞれの事情でお隣の国からこの街に来た男たち——「駐在員」と呼ばれる人々を相手をすることになった。彼らもまた、この場所に引き寄せられてきた存在に思えた。

同じ店の娘たちと指名を競い合ううちに、駐在員の生態がわかってきた。本社からの司令に日々疲れていること、その多くは単身赴任で日本に家庭を持っていること、手当のおかげでこちらでの生活には困らないが、娯楽を見出せずお金を持て余しているらしいこと。

そして、彼らはお店の女の子にどのような「真実」を求めているのかということ。

将来は自分の店を持ちたいの。親が病気でさ。将来は日本に留学したいんだ。こんな気持ちになったのは初めて。できることなら、あなたと一緒にずっといたいな。

私は彼らが見たい夢、「真実の愛」という名の嘘を売り、対価を得ることがどんどん上手になっていった。

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白い歯のあなたも、そんな対価を得るための、たくさんの男たち中の一人にすぎないはずだった。でも、あまりにピュアで自信家なあなたと一緒にいるうちに、私はいつしか「真実の愛」という名の真実に、手を伸ばしたい気持ちを持つようになっていたかもしれない。この人となら、ひょっとしてあるいは、と。

でも、すでに自分があの人に与えてきた、かりそめの「真実の愛」のことを考えれば、そんなことはできなかった。この生き方のまま、本当の「真実の愛」を手にすることは、やはりできないのだ。

私はあの人の前から姿を消すことに決めた。あの人も、きっとすぐに帰任が決まるだろう。何人も見送ってきた、これまでの経験がそう言っている。もしそうなっても、私のために上海に留まるなんて言い始めなければいいのだけれど。日本に帰って、奥さんと子どもを幸せにしてあげてね。取り返しがつかなくなる前に。

そして私は、スマートフォンでC-trip携程旅游を開き、航空券の予約を始めた。

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深夜便に乗って夜を明かせば、私はもうクアラルンプールにいる。

一緒に住むために呼び寄せた両親もいる。一緒にマレーシアに住もうと申し出た時はとても驚きながら、どうやってそんなお金を貯めたのと不思議そうに聞いた。

私は、「日本語関係のお仕事で、一生懸命貯めたの」と答えた。これは真実じゃないかもしれないけど、嘘でもない。

新天地でも私は、真実と嘘を使い分けながら、たくましく生きていこう。

そうしているうちに、あなたの白い歯のことも、きっと忘れられるでしょう。

さよなら。元気でね。

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