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嫌いな人の名前を、すっかり忘れていた話

これまでの人生で、どうしても許せない人間が何人かいる。その一人は、昔の会社の、ある時期の上司だ。

当時は仕事を始めて2、3年目だったと思う。転勤で移った職場には、最悪の上司がいた。細面で嫌味な話し声の、言ってはなんだがいかにも小狡そうな男だった。その人は何かにつけて細かく、1つのミスをいつまでもなじってくるような人だった。そのミスを理由に、いつも長時間の雑用を強いられた。

いっぽうで自分のミスには甘かった。何か事が起こればいかに自分に責任がなく、それが周囲のせいであるのかを滔々と説き、それに納得いかない様子を少しでも見せようものなら、こちらを睨みつけて言葉を押さえ込んできた。

そこまではただ単に僕の言い分だし、相性もあるから一概に向こうが悪いとは言い切れないかもしれない(当時の僕が壊滅的に仕事ができなかったのも事実だ)。

しかし許せなかったのは、職場で部下の従業員と不倫関係にあったことだ。それだけなら大人のやることだから好きにすればいいと思うが、ある日その不倫相手の夫が職場に怒鳴り込んできた時には、なぜか僕がその「話し合い」に同席させられた。なぜ僕が。

痴情のもつれに周囲を巻き込むタイプの人間はよくいるが、あれはまさにその典型例だったと思う。ちなみにその後もその騒動については口止めされ、僕は他の従業員へのフォローに追われた。つまり仕事はともかく、倫理的にも終わってる人だったのだ。とても言うことを聞く気にはなれなかった。

そんな人と、結局は2年くらい仕事をしたと思う。職場の仕組み上、ほぼその人とマンツーマンで仕事をしなければならなかったので、本当に辛かったのを覚えている。ある時耐えきれなくなり、最終的には上司の上司にこっそり異動を願い出て(ちなみに不倫については隠し通したまま相談した。我ながら義理堅いと思う)、転勤させてもらった。

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とまあ、そんなふうにその人は僕の人生においてトップクラスに嫌な思い出をもたらしてくれた人なのだが。

不思議なことに先日、その人の名前をいくら思い出そうとしても、まったく思い出せなかったのだ。

ちょびヒゲを生やした小汚い面も、説教を垂れる時の不快な声も、僕が一度ブチギレて刃向かった時に殴り返されたビンタの痛みも、あいつが毎日職場に乗り付けてきていた日産スカイラインのエンジン音(音が近づくと「ああ来やがった」と胃が痛んだ)さえ鮮明に覚えているのに、きれいに名前だけが出てこない。

そのことに、思わず「フヘッ」と笑いがこぼれた。なんだ、あれだけ辛いことを強いてきた相手の名前も、結局は忘れてしまうのか。あの日々のつらかった出来事は昨日のように思い出し、こうやってよどみなく文章にできるというのに。

じゃあ、結局あの時のつらさも、あの人の名前と一緒にいつか忘れ去る日が来るんじゃないか。そう思うと、うれしくなった。しょせん、忘れられる程度のことでしかなかったのだ。また笑みがこぼれた。そして、あれだけのことを忘れさせてくれた時間と、すっかり記憶力の低下した脳に感謝した(普段はあまりの物覚えの悪さを忌々しく思うが)。

本当のことをいうと、この文章を書きながら苗字だけは思い出してしまったのだけど、全然構わない。どうせまた忘れるのだろうし、その時には辛かった思い出ごと記憶が吹き飛んでいるかもしれない。そう思えば、どうだっていい。

そしてきっと、幼稚園から中学までずっと僕をいじめてきたスポーツクズのことも、僕を板挟みにした末に最後にはクビにした中国人と日本人の2人の上司のことも、いつかは忘れてしまうのだと思うと、痛快な気さえした。

どうせ、いつかは忘れてしまう。なら、その辛かったことや、それをもたらした人の些細な表情までもに、心をとらわれる必要はない。無駄に特別な意味を持たせて、自分の中で大きくしてしまわなくてもいい。

これを読んでいる人に、もし過去の出来事や許せない人、消化できない思いに苦しんでいる人がいたら、「どうせ、そいつの名前も思い出せなくなる日が来るよ」ということを、騙されたと思って信じてみてほしい。

そして、ある時ふと憎んだ人の名前が思い出せない自分に気づいて、僕と同じように1人でニヤニヤしてほしい。

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