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こうして僕は、「スポーツ」を憎むようになってしまった

noteで「スポーツがくれたもの」をテーマとしたコンテストが開催されている。

このテーマでは、僕は到底コンテストで結果が出るような文章は書けない。

「スポーツ」は僕にとって、拭いがたい負の記憶とともにある。

始まりは、幼稚園の時から

小さい頃から、街のガキ大将みたいなグループにいじめられていた。

強く記憶にあるのは幼稚園の年長の時。「修行」と称して公園の砂場に呼び出され、殴ったり蹴られたりした。代表格みたいなやつが二人いて、片方は僕をはがいじめにして、片方は僕を好き放題殴った。周りで見てた奴らは、やり返そうとしてジタバタ空回る僕をせせら笑っていた。

結局、先生だったか親だったかに相談して「修行」は表面上なくなった。だが、「あいつら」はことあるごとに理由をつけて僕を殴ったり、意地悪をすることをやめなかった。辛かった。

針のムシロ、小学校

小学校に上がり、晴れて開放……となればよかったのだが、僕の住んでいたところは地域の特性上、同じ学年がほぼそのままスライドして中学校卒業まで変わらない構造だった。つまり、「あいつら」とも同じ学年であと9年間一緒に過ごすことを余儀なくされるということだ。そのことに気づいた時は絶望しかなかった。

「あいつら」と一緒のクラスになった時に何より辛かったのは、体育の時間だった。「あいつら」は、スポーツが得意だった。そして、ここまでお読みの方なら容易に想像できるように、僕はスポーツ全般が全くできなかった。特に球技は絶望的だった。当然、サッカーでもバスケでもバレーでも、僕がいるところは穴になる。それらの授業の時はなるべく気配を消すようにしていたが、教師は「全員平等にボールを触れるようにしろ」と余計な指導をするから、否応なく参加させられることになる。

結果、僕が「あいつら」と敵チームになった時は格好の餌食だった。下手すればプレーにかこつけて殴られたりもした。味方チームになったら露骨に嫌な顔をされ、失点や敗北の原因を僕に押し付けた(まあ、原因は本当に僕だったりもするんだけど)。ますますスポーツが嫌いになっていく。

特に納得がいかなかったのは、任意参加のはずの小体連(小学校体育連盟だったか? まあどうでもいいわ)のサッカー活動に、なぜか強制的に参加させられたことだった。やりたくもないのに、朝と放課後に練習に参加させられた。受ける扱いは体育の授業の時と変わらない。うまくできなければ「あいつら」に罵倒されるか殴られるか蹴られるかだし、サボれば教師に呼び出される。理不尽だと思った。

学年が上がっていっても、僕はその構造から抜け出せなかった。一度決まってしまった人間関係をリセットするチャンスはそうそうなかった。どこかでブチギレて反撃する根性もなかった。そうこうしているうちに「あいつら」は版図を拡大し(友達を増やし)、どのクラスにも「あいつら」の手先がいるようになっていた。手先に捕まると、結局は「あいつら」の中の人間関係に組み込まれ、またイジメのようなことが始まる。

そのうちに「あいつら」の中から、スポーツの実績をもって校外で評価されるやつが出てきた。野球のリトルリーグで全国に行ったとかどうとかいうやつ、サッカーのイベントで何かの代表になったとかいうやつ。どちらも僕をいじめていた筆頭格だった。そいつらが爽やかスポーツ少年として評価を上げていく一方で、僕(を含むいわゆる陰キャラ達)に対するひどい扱いは変わらなかった。

何かがおかしいと感じた中学生

中学に上がると、辛さがより顕著になった(ここから抜け出そうと頑張った中学受験は失敗した)。それは、部活動なるものが始まったことが大きい。

中学でも学年のメンバーが変わらないので、どこかの部活動に入るということは、わざわざ「あいつら」と接触する時間を増やすようなものだ。僕にとっては自殺行為だ。当然のように、帰宅部を選んだ。

しかし、この帰宅部というのも今思えばあまり賢い選択ではなかった。時代や地域、学校によって違うのだろうが、少なくとも僕のいたその学校では、帰宅部はヒエラルキーの最下層だった。青春の王道から外れた外道としての扱いとでもいうのだろうか。教師からは「なんで部活に入らへんの?」と、本当に理解できないという顔で言われた。僕が入ったらどうなるかわかってるくせに、と腹立たしかった(今思えば教師は僕に「みんなと仲良くなる」機会を作ろうとしていたわけで、気持ちは理解できる。感謝はしないけど)。

部活に入らない選択をした僕と、しっかり部活動に勤しむ「あいつら」の身体能力は、当然ながら余計に開いていくばかりだった。帰宅部であるということも材料となり、体育の時間に受ける扱いはますます苛烈になる。授業のサッカーの時は、サッカー部に入った「あいつら」の筆頭格(幼稚園の時、僕を後ろからはがい締めにしていた方だ。以降はサッカークズと呼ぶ)にプレー中何度も罵倒された。同じチームに入らされ、ミスがあった時には思い切り蹴られたことを今でも覚えている。

またこの頃、「あいつら」のもう一人の筆頭格(幼稚園の時に僕をメインで殴っていた方。野球クズとする)が某プロ野球チーム旗下の少年野球チームに入団することになり、地元が大いに湧いた。テレビの取材なんかが来て、野球クズは朗々とチームへの抱負みたいなことを述べていた。

僕は冷ややかにそれを見ていた。そいつは「番長」的に学年ヒエラルキーの最上層に君臨し、あいもかわらず僕をいじめていたからだ。あいつはあの女の子が好きらしいぜ、と勝手に言いふらされ、その子に「気持ち悪い」とケラケラ笑われたこともあった。消しゴムのカスが入ったお茶を飲まされたこともあった。地獄だった。

受験にまで? そして僕はスポーツを憎むようになった

その後、僕にとって許し難いことが起こった。

高校生になったらこの地獄から解放されると信じて疑わなかった僕は、高校受験を楽しみにしていた。必死で勉強を頑張った。学力である程度ふるいにかけられるのであれば、スポーツばかりに精を出している「あいつら」が同じ学校に来ることはおそらくない。高校で、新しい人生を始めるんだ。そう思っていた。

ところが現実は残酷だった。「あいつら」のうちサッカークズのほうが、僕と同じ高校に受かってしまったのだ。意味がわからなかった。納得がいかなかった。それは、「内申点」とかいうクソシステムのせいだった。

サッカークズははサッカー部の部長だかなんだかを務めており、同時に生徒会のなんたら委員会の長でもあった。要するに人気と人望があったのだ。僕からすればあり得ないが、学校や他の生徒の評価は違ったということだ。それらの「輝かしい」実績により、学業試験の成績はそれほど振るわなくても、奴は僕と同じ高校に入学できてしまったのだ。

せっかく9年間耐えてきたのに、また3年? あのサッカークズと同じ学年? 目眩がした。

ちなみに野球クズの方は、推薦だかなんだかで、高校野球で誰もが名前を知るような名門校に入学した。そいつは卒業式で地元のOBヤンキーともどもタバコを吸っていたことを、僕は知っている。

かくて僕はスポーツに対し、「スポーツができるやつはクズ」「大人はそれを見抜けないバカ」「スポーツはズルをして甘い汁を吸うための手段」という評価を、自分の中で決定的にしてしまった。これがただの偏見であることは、十分に大人になった今ならわかる。でも、当時はどうしてもその気持ちに折り合いをつけられなかった。そしていまでも、この気持ちを完全には克服できていない。

僕の本分はスポーツじゃない

高校でもスポーツ的なヒエラルキーは変わらなかった。サッカークズは予想通り、中学時と同じようにその勢力を広げ、やはり僕のような人間を校内のメインストリームから排斥した。学校に、僕の居場所はまたもなくなった。

しかし、音楽を始め、映画を見るようになり、「外」の世界、「学校じゃない」世界を知るようになって、辛さは徐々に減少していった。「スポーツ」じゃないところで頑張ることで、僕は少しずつ癒されていった。学校内の扱いは良くはならなかったが、それでもいいと思えた。あるいは受験勉強なども、ある意味「スポーツ」の蜘蛛の糸から逃れようとしたからこそ頑張れたことかもしれない。

僕にとって「スポーツ」が持つ価値とは、「自分の本分は「スポーツ」じゃない」と、学生の時分に嫌と言うほど思い知らせてくれたことなのかもしれない。それ以降の人生は「スポーツ」と徹底的に距離を取ることで生き延びてこれた。

そして僕はこれからも、おそらくはスポーツと和解できない人生を歩む。筋トレこそするようになったが、今でも球技はあらゆるボールに触りたくないくらいに嫌いだ。ワールドカップだのWBCだのが話題になっても、意地でも見ない。「体育会系」を自称する人の粗探しや見下しをしていることも、正直に告白すると、いまだにある。中年にもなってまでも大昔のことを引きずっているのはまことに情けないとも思うが、本当のことだから仕方がない。

それでも人生は素晴らしいのだと思い続けることが、「スポーツ」と相容れなくても生きていけるんだと証明することが、ある意味で僕の軸になっている。

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スポーツが好きでたまらない人へ。ここまで書いておいてなんなんですが、僕は「スポーツ」を殊更に批判したいのではないんです。ただ、「スポーツ」と折り合いがつかず、憎んで生きてきてしまった僕のような人間もいる、ということを知ってくれれば、それで十分です。

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