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中国の地方都市にどっぷり浸かってわかった、中国の「中央値」の現状

まだ義実家におります(いいかげん帰らせてくれ)。今日も義実家とその周辺での体験と、それについて思ったことの話です。

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これを書いている前日、本当に最悪の過ごし方をしました。

まず午前中は、スーパーに行って買い物をしたのですが、春節期間で他の店屋が開いていないせいもあって人が殺到しており、足を踏まれたりタックルされたりと、もみくちゃになりました。

もみくちゃになっただけならまだしも、野菜の計量(中国のスーパーの野菜は基本的に量り売りです)の列を抜かされまくったり、洗剤やヨーグルトの販促をやっているおばちゃんに延々と絡まれたり(なんで他に山ほど人がいるのに俺にばかり来るんだよ)と、消耗するような出来事ばかりが起きました。

午後はもっと最悪でした。嫁が少し体調が悪いというので、病院に薬をもらいに行こうとしたのですが、ここにも人が殺到しているうえ診察の列がなかなか進まず、いつまで経っても嫁の名前が呼ばれません。

3時間(!)くらい経っても呼ばれず、しびれを切らして診察室に飛び込んで担当の医者を問い詰めると、「もうとっくに呼んだのに、あなたが来なかったんじゃないですか?」などと、確認もせずにナメた態度で言い返してきます。

負けじと呼ばれてないはずだと主張するも、相手はのらりくらりとこちらの言い分をかわすばかり。結局、薬の処方は受けられませんでした。午後をまるごとドブに捨てたようなものです(同時に、「あんな医者の処方する薬は信用できないから、もらわなくて正解だったかも」とも思いましたが)。

かように、一日じゅう疲弊していました。こちとら慣れない親戚づきあいで参っているというのに、なんで外に出てまでこんな思いをしなきゃならないんだという思いでいっぱいになりました。もうこんなものはマガジンに書かなきゃやってられねえやという気持ちで、いまこうしてキーボードを叩いています。

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話は少し変わりますが、中国においては「〇線城市」(〇には一から五までの数字が入る)という、都市のランクづけのようなものが存在しています。数字が若いほどランクが高いことを意味しており、たとえば「一線城市」というと上海や北京などの最先端の都市が該当します。

この分け方に従うと、僕が普段住んでいる東莞市は二線城市(あるいは新一線城市といったりもする)に、いまいる嫁の実家があるのは三線城市(のなかでも経済規模としてはたぶん下のほう)に属します。

今回、おそらくは現在の中国において、おおむね都市の中央値にあたるであろう三線城市に長めに滞在したことで見えてきたことがあるので、以下はそれを書いてみたいと思います。

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中国においては地方による格差が大きく、土地の経済規模によって人々のマナー意識や得られるサービスの質・量などが大きく変化します。「〇線城市」の話で言えば、一線城市と五線城市ではマナーやサービスに雲泥の差があるということです。

今回、僕が三線城市で体験している諸々にも、やはり普段住んでいるところ(二線城市の東莞市)との大きな差を感じます。東莞市とて決して大都会ではなく、日本では考えられないようなことに辟易することも少なくないのですが、それでもここまでひどくないだろう、という感覚があります。

ただ、「場所によって人々のマナーやサービスに大きな差がある」ということそれ自体よりも、もっと根本的かつ深刻な問題があるのではないか、ということに今回の滞在で気がつきました。

その問題とは、

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