中国嫁の義実家で過ごす「何かわからん時間」を肯定的に捉えてみる
昨日から春節休みの帰省ということで、嫁の実家に来ています。
去年はコロナの影響もあって実家に帰ることができなかったので、久しぶりの親戚参りということになります。
昨日は初日で、とりあえず親・兄弟の近しい親戚が集まるのみだったのですが、嫁をはじめとした家族は久々の再会に盛り上がっていました。
コロナの感染拡大のせいで数週間前までは親戚じゅうみんなしてバタバタと倒れていたのですが、お互い遠くに住んでいるので助けあうこともできず。こうして無事に会えたことに、特段の感慨があったようです。僕も長い間あいさつができていないことが気になっていたので、来れて良かったと思います。
中国の家族に対する情熱というのはすさまじく、こうしてみんなが集まるとなれば家長(いまの場合は嫁のご両親)は全力で家族のために気を遣ってくれます。テーブルの上には大量のお菓子を用意して出迎えてくれますし、夜にはおいしいご飯をこれまた大量に作ってもてなしてくれます。
少し薄着でソファに座っていると、お義母さんが寒くはないかとストーブ(というか、電気あんか的なもの)をつけてくれたり、毛布を持って来てくれたりと、至れり尽くせりです。
昔はこうした気遣いにむしろ居心地の悪さを感じたりしたものですが、何度もこうした実家参りをするなかで「そういうものだ」ということが徐々にわかってきて、徐々に慣れることができています。以前よりはそうした親切を素直に受け取ることができるようになったと思います。
ただ、それでもどうしても慣れない時間というのが存在しておりまして。
それが、特にご飯を食べ終わったりしてみんなが特にやることがなくなった時に発生する、「何かわからん時間」です。
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