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誰かにとっての「名もなき善き人」になろう

こんなnoteを読みました。

この記事を書いている時点でスキが1,400超。とんでもないバズり方ですが、読めば確かに心を打つ文章です。先日起きた蘇州の日本人学校での事件を受け、中国に関わっている人間としての複雑な胸の内を率直に語っているように見えます。

中国は、盲目的に好きでいることをためらわせるようなことが起きる国です。

どれだけ憧れや好印象があっても、どれだけ深い知識を持つようになっても、その「好き」を試されるようなことがたびたび起きます。それは今回のような社会的事件のレイヤーでもそうですし、政治的にも、ビジネスでも、また個人の付き合いでも似たようなものです。

そうした出来事にぶち当たるたびに、関わることを諦めたくなるような気持ちになります。それは僕にも、これまでにたくさん訪れました。

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しかしそれでも、結果的に僕は中国に住み続け、関わることをやめずにここまできました。なんやかんやで、もうすぐ10年になります。

なぜ、僕はここまで諦めずにこられたのか。こちらで家庭を持ったことや、そもそも「好き」とか「嫌い」というスイッチをどこかで切ってしまったということもあります。

しかしその他にも大きな要素としてあるのは、冒頭の記事が言うような、ただすれ違ったり、ほんの少し関わっただけの人が見せてくれた優しさや親切のおかげかもしれません。

本気で見知らぬ外国人の私のために怒ったり優しさを投げ出してくれた。

そんなおばちゃんがたくさんいたのに、私は忘れてしまっていたね。

目の前で困っている人を見たらほっとけなくて、
言葉は時に下品で野暮で、その親切は時に押しつけがましくて、ありがた迷惑な時だってあるけれど。

自分の人生を精いっぱい生きて、パワフルな有り余るパワーで周りにも思うままに自分勝手にどこまでも暖かく親切とやさしさを投げ出して振りまいて。

でもそれは確実に中国を見えないところで支えていて、平凡でおせっかいなおばちゃんたちこそが中国社会を動かして支えていた。

https://note.com/awokozaizheli/n/n56227f5cbc9fより

中国で時おり出会うことのできる、通りすがりの人が見せてくれた無償の親切や、名前も知らない人とのふとした会話。

そこで垣間見た、中国の人々が根底に持っている優しさや柔らかさの思い出が、「中国」という対象に関わることに疲れた心を癒してくれることがあります。

言葉がおぼつかない頃に通った市場の、野菜売りのおばちゃんの屈託ない笑顔。

これも言葉がまだ未熟なときに、英語と中国語をごっちゃにして一生懸命SIMカードの手続きをしてくれたスマホショップの兄ちゃん。

僕が退職するときに「自分から毎日挨拶してくれたのはあんただけだよ。また一緒に飯を食おうな我们一起吃饭了吧」と言ってくれた、工場の保安(守衛)のおじさん。

老人や子ども連れと見るや、先を争うようにして席を譲ろうとするバスの若者たち。

スマホを一心不乱に見ながらだけど、エレベーターの「開く」ボタンを押して先に降りるように促してくれた少年。

そんななんでもない光景の数々を思い出すと、中国から離れそうになった心が、繋ぎ止められるような感覚になって、まあもうちょっと頑張ってみるか、という気になります。

起きていることは親切と呼べるかどうかもわからない、本当に本当に小さなことばかりなんだけど、そうした「名もなき善き人」との無数の邂逅のおかげで、僕は中国への気持ちを失わずにこれた気がします。

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翻って、自分が誰かにとっての「名もなき善き人」になれているかどうかを普段から考えておいた方がいいのではないか、と思いました。

すれ違う程度の人に施した小さな親切や、何気なくかけた言葉。それを受け取った人や、あるいは近くで見ていただけの人が、何かに向き合うための力を勇気を、案外そこから得ていたりする。これって結構すごいことではないでしょうか。

自分がそうした何気なさに救われていることがあるのなら、逆に自分の何気ない行動が誰かを救い、前を向かせていることがあるのかもしれない。そう思うと、人には親切にしておかなくてはな、と思います。

いまはたまたま日本と中国という国をまたいだ話になっていますが、小さな親切が誰かをある世界に繋ぎ止めているかもしれない……という普遍的な世界についてもいえることでしょう。ひょっとしたら、昨日誰かに手を差し伸べたことが、明日の誰かの命さえ救っているかもしれないのです。

道端の小さな親切が、意外と誰かの人生に大きく影響していたりする。このことを踏まえて生きていきたいなと思いました。

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どうだろう、いまの自分はすれ違う人のために何かができているかな。「ソト」の人にあまり気を遣わない中国の文化の気楽さに甘えて、見知らぬ他者に少し優しくなることを忘れてはいなかったかな。

自分が誰かにとっての「名もなき善き人」になれているかどうかを、自分なりに点検しておこうと思います。

ではまた。

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