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みんなご自愛してこうぜって話

たまに見かける炎上


Twitterでは、炎上がしばしば散見される。
その炎上によって、周りの人たちが傷ついたりすることもあるし、時には炎上した本人も傷ついたりする。

今回は、自分の過去の経験を思い出しながら、この炎上について語りたいと思う。結論から言うと、他人の炎上に関しては基本的にスルーするのがベストだと思っている。幸せを祈りながら静観がベターよ。

単にTwitterに慣れてないのでは?

炎上するツイートには、しばしばその人を傷つけるような内容が多い。
例えば、特定の人々を避難するようなツイートや、資格試験に受かった人が受からない人たちに対する発言などが挙げられる。

恐らくだが、炎上商法みたいにビジネスとして炎上を起こす場合を除いて、こういった炎上の背景には、SNSに対する慣れの不足が大きいのではないかと考える。

SNSに慣れていないというのは、ある意味でネットマナーを学ぶ機会がなかった可能性もある。
そのような背景を考えると、炎上の主体は真面目で勉強に励んできた人々だったりするのかもしれない。
彼らがSNSの世界に入ってきた際、様々な悪意に晒されたり、誰かを批判する喜びを知ってしまったことに起因するのではないか。

反省する余裕を持てるかどうか

炎上について特に悩ましいのは、炎上によって批判的なコメントが来ることで、炎上の主体が意固地になってしまうことである。

僕も昔、自分のツイートがプチバズったことがあった。
その時はポジティブな意見が多かったが、少しだけ否定的な意見もあった。
そのわずかな否定的意見に対しても心がざわついたことを覚えている。
それくらい、自分の意見に対して批判的な意見が来ると誰でもしんどいものだ。

炎上主のツイートが正しいかどうかはさておき、批判を受けること自体が精神的に負担になる。周り全員が敵のように映ってしまうものだ。
そのような状況で自分自身を見つめ、内省するのは困難だろう。

結果、自分自身を振り返る余裕を失い、発言はより過激になる。

自分のネット上の発言なんて、だいたい恥ずかしいもの

ネット上での発言は、後で振り返ると大いに後悔することが多々ある。

僕も昔、mixiをやっていた時期があり、過去の日記を読み返すと本当に恥ずかしい気持ちになる。
自分が書いた内容に対して、「うわー、だめだ俺」と思う。
まさに自分に酔っているのである。

恥をさらす覚悟で、その時の日記を少し紹介しようと思う。


昔、チームから誕生日プレゼントで植物をもらい、2週間で枯らしてしまいました。

そして最近、異動の際のチームからのプレゼントとして、おしゃれな盆栽をもらったのですが、すでにその命が尽きようとしています。。
何という諸行無常っぷり、トップブリーダーも呆れる〇〇です。

久しぶりに髪を切りました。何人かの人から短いのが似合わないと言われたので、長さはそのままに、ボリュームだけ減らしました。そうすると、すごく顔が大きく見えるんです。。何という諸行無常っぷり。走っても顔までは痩せないよなぁ。。

仕事のプレッシャーが勝手に高まっていきます。基本、自信家の〇〇なので、プレッシャーを感じる=多分活躍できるはずっていう前提があるんです。ただ、それが思うようにいくかどうかってところにプレッシャーを感じるんですね。
でもこれは何に対しても言えるかもしれません。「これは絶対無理!!」って事に対してプレッシャーは感じないし、感じているなら自分の中で同じくらい可能性を感じているってことのはず。。多分。。

とりあえず、今は数字というお薬が欲しい。。基本数字に対してあまり貪欲ではないのですが、過去にないくらいそれが欲しい状態です。
とりあえず、この分厚い雲の上にいるはずのお星様にお願いしておきます。〇〇でした。


地獄としかいいようがない。
他にももっとヤベぇ記事もあるんだけど、それはさすがにお出しできない。。

こんな感じで、過去を振り返って後悔しながら成長していくのが通常だと思う。
だから、炎上を目撃した時は基本的にスルーするのがベストだ。中二病や大学デビューのように、炎上も本人にとっては、一種の通過儀礼なのではないかと思う。

もしその発言によって傷つくことがあるなら、基本的にはミュートするのが一番良いだろう。スルースキルは非常に重要だ。

ただし、スルーできないようなシチュエーションに直面した場合は別である。避けようがない加害に対しては、「嫌だ」とはっきり言うべきだと思う。

これは子供の教育でもよく言われることだ。嫌なことは嫌だと言う、悪いことをしたらごめんなさいと言う、という基本的なことが、子供だけでなく大人こそ意識すべきことではないだろうか。

それぞれがそれぞれをご自愛していこう

「ラブ&ピース」という言葉があるが、個人的にはこの言葉は順序が逆だと思っている。
まず自分の心が平穏であることがあって、はじめて他者を慈しむことができるのではないだろうか。

だから、他者に対して感情を向けるよりも、まずは自分を大事にすること、自分の気持ちが穏やかであることを第一に目指すべきだ。

これは誰にとっても良いことであり、結果として自分の周りの人々の幸せにもつながる。
周りが幸せになれば、自分の幸せも底上げされるものだと思う。

ただし、明確に今、自分に加害を加える人の幸せは願わなくてもいい。
そんなことをしても自分がしんどくなるだけだからだ。そこはできる範囲で構わない。

まずはそれぞれが自分を大事にする、自分を大切にすることを軸にするのが、みんなにとっても健全だと思っている。


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