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ゴミがない

先日、実家の岩手に帰った。
この時期の岩手は久しぶりだ。春というには暑く、夏と呼ぶにはまだ早い。けれど、日が沈む頃の外の空気には、夏の匂いが少し混ざっていた。

岩手はここ最近、観光客の方がとても増えた。海外の方も国内からの方も。理由は数年前、NYタイムズに盛岡が選ばれたからだ。
私がまだ岩手に暮らしていた頃は、海外の観光客の方とすれ違うなんて、まず無かった。
けれど、ニュースが世に出てからというもの、バスの中にも街の中にも、至る所で海外の方を見かけるようになった。

え!ここを写真に撮るの!?
え!ここを見にくるの!?
何も感じずにいた街の景色が、他の場所から来る人にとっては違う見え方なのか。そう思いながら街を歩いていた。

違う場所に住む今。
違う気持ちで街を歩いている自分に気がついた。
なんて広大な空なんだろう。
なんて青々としていて綺麗な緑なんだろう。
ここの川の水はこんなに透き通って見えていたのか。
田んぼの景色ってなんてきれいなんだろう。

なるほど、外から見ると確かに写真に撮りたくものだなと頷けた。

そして一番驚いたのは街にゴミがないことだ。
歩道の脇の花壇にも、駐車場の端っこにも、道路の隅にだってない。どこにもない。タバコの吸い殻も、ペットボトルもお菓子の袋も落ちていない。
こんなに街が綺麗だったのか。心底私は感動したし、こんな街で生きてこれて誇らしい気分になった。

以前お付き合いしている人と、買い物をしている時、その人がガムを道に吐き出した。
え?
は?
いやいや、
え???
私はブチギレた。大ブチギレ。大大大大…ブチギレ。人混みだろうと関係なくブチギレ。
「拾ってきて」という私に、「いやぁ。…」という彼にまたブチギレ。
仕方がないので、大ブチギレをかましながらガムを拾いに行った。もう口も聞きたくない、人としてどうなんだ、しばらく私のブチギレはおさまらなかった。

話を戻すが、ゴミが落ちてない方がいいのは当たり前だ。でも、ここに住む人は誰も意識して心掛けているわけではない。誰も街にゴミを捨てようなんて1ミリも考えたことがないだけだ。
そうか。私はこの街で育ったから余計ブチギレたんだな。そんなことも、街を歩いて思い出した笑

自分たちの住む街に敬意があるし、大切に想っている。街に対して愛がある。そんな空気が、選ばれた一つの理由なのではないかと思う。

私はいつだって、自分の住む街にリスペクトを持ちたいし、愛を持っていたい。ゴミが落ちていたら拾いたい。
一人一人が、自分の住む街に愛を持てたらどんなに素晴らしいだろうと思いながら、今住む街を歩く。

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