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使徒パウロの福音~エペソ書の研究~

はじめに


 新約聖書におさめられているエペソ書は,通称「疑似パウロ書簡」と呼ばれております。つまり,使徒パウロ自身が書いた手紙ではなく,「パウロの思想を継承した誰か」が書いた手紙なのです。以前の記事で詳述したように,写本・パピルスや古代の記録を比較検討した結果,私は「エペソ書の著者は,ピレモン書に登場する奴隷オネシモである」と考えております。
 いずれにせよ,エペソ書は,使徒パウロの福音を復興しようとした重要な書簡であり,全パウロ書簡(テサロニケ書Ⅰ・ガラテヤ書・コリント書Ⅰ・コリント書Ⅱ・ローマ書・ピリピ書・ピレモン書)の精髄が記されている「福音の要約書」といえましょう。

エペソ書の意味論的研究


焦点語


 心の中の思想は,言語によって現象化します。そして,言語にも様々な意味レベルがあります。思想の中核に直結した焦点語もあれば,焦点語に根ざし全ての言語を統括する第一次言語もあります。さらに,第一次言語から派生し,善悪の価値意識を規定した第二次言語もあります。私たちがまず為すべきことは,エペソ書の焦点語を明らかにすることです。
 エペソ書著者は言います,「真の福音は秘儀(μυστηριον)である」と。つまり,一般的なキリスト教徒が考えるような「十字架の贖罪」や「キリストの再臨」は,福音の最終的真理ではないのです。ならば,福音の秘儀,福音の本質とは,一体何なのでしょうか?それは,εκκλησια(エクレーシア)です。通常「教会」と訳されているこの言葉は,非常に誤解を招き易い表現です。なぜなら,教会と訳すことによって,私たちは既存のキリスト教会を連想してしまうからです。
 ところで,エペソ書著者は,エクレーシアを「キリストの身体(σωμα)」と言い換えています。では,エクレーシアとは何を指すのでしょうか?エクレーシアとは,キリストが心から愛する有機的組織体であり(5-29),一つの霊を共有する共同体です(4-4)。
 では,エクレーシアとは,カトリックやプロテスタントに限定された西洋的団体組織なのでしょうか?そうではありません。エクレーシアとは,圧倒的に巨大な組織体であり(3-18),イエスにあって和解した全人類です(2-16,3-6)。
 では,エクレーシアとは,神の愛に陶酔する群衆のことなのでしょうか?そうではありません。エクレーシアとは,キリストに服従する勇気ある人々の群れであり(5-24),奉仕のために建て上げられた「キリストの精神」の執行機関なのです(4-12,16)。

第一次言語


 この教会概念から派生し,あるいは補足するように,第一次言語が存在します。第一次言語には二つあります。第一に,συν(スン)という言葉です。英語のwith(~と一緒に)に相当する言葉です。エペソ書は,συνによって埋め尽くされた書簡といっても過言ではありません。つまり,教会に属する人々―神の恵みにふさわしい人々,すなわち全人類―は,すべてをキリストと共に為し,すべてを同胞と共に為すのであります。私たちは,キリストと共に命を与えられ(2-5),キリストと共に復活します(2-6)。また,同胞と共に組み合わされ(2-21,4-16),同胞と共に建て上げられ(2-22),一つの教会を形成します。そして,私たちは同じ一つの身体となり(3-6),神の御業に共同参与するのです(3-6,5-7・11)。
 二つ目は,προ(プロ)です。一般的に「予め,前もって」と訳される言葉です。すべての現象は,予め神が定められたのです。宗教改革者ジャン・カルヴァンは言いました,「すべては神の計画の下にある」と。だいたい正しい表現ですが,一つ言葉が抜けています。正しくは,「すべては神の恵みの計画の下にある」です。こうした創造主に対する確固たる信念が,教会を形成する人々を強くするのです。私たちは,創造以前にキリストに出会うよう予定され(1-4),キリストの救いに与るよう定められ(1-5・9・11),神の国の完成,全人類の救済を希望するよう期待され(1-12),そのために命を使うよう準備されたのです(2-10)。
 「我ら,キリストと共にあり!」「我ら,神の守護下にあり!」こうした思想が,教会に属する人々の共通点だといえるでしょう。
(注)この場合の教会とは,カトリック教会でもプロテスタント教会でもなく,神の恵みを自覚した全人類的教会です。

第二次言語


 焦点語と第一次言語を把握することによって,エペソ書特有の言語が理解できます。例えば,ενοτης(エノテース)という言葉。私は「一つの現実」と訳しますが,全人類がキリストの精神によって一つに和合した姿を表現しているのでしょう。あるいは,πληρωμα(プレーローマ)という言葉。一般的には「充溢」と訳される言葉ですが,宇宙大に広がった教会,その教会に充満した全存在を表現していると思われます。また,エペソ書にしか存在しないανακεφαλγιουσθαι(アナケファルギウースタイ)という言葉。直訳すれば「頭化する」という意味ですが,「キリストが万物の頂点に立ち,万象万物が調和した神の国」を連想しているものと思われます。

おわりに


 キリスト教の秘儀,福音の本質とは,「キリストによる全人類の調和」です。違う言い方をすれば,成長しつつある神の国,神・人・物の有機的組織体です。イエスのいう「神の国」とは,こうした「全存在の和合」を指したのではないでしょうか?
 そういう観点から物事を眺める時,すべての宗教的理想は同一です。全存在が相互に連動しながら絶対的真理を表現する華厳宗(法蔵)の悟り・事事無礙(じじむげ)。大日如来を中心に万象万物が相互に照らし合う密教(空海)の悟り・曼荼羅世界。

密教の胎蔵曼荼羅

雪舟の山水図のように,全存在が統合されながら決して個性を失わない禅宗(道元)の悟り・絶対無分節。

雪舟の「山水図」

仏教だけではありません。神・人間・動植物が一体となり,まるで一人の人間のようになったイスラム神秘主義(イブン・アラビー)の境地・完全人間。宇宙のすべての要素が有機的統一体となったユダヤ教神秘主義の境地・セフィロートの木。

セフィロートの木

全存在が調和しながら個々別々の動きをし,しかもそれぞれが宇宙を表現するライプニッツのモナドロジー。神なき世界に神を見,この地獄の世界に仏国土を見,己を無化することによって己を得る西田幾多郎の絶対矛盾的自己同一。エペソ書の観点からすれば,キリストの預言者は旧約のアモス・イザヤ・エレミヤ・エゼキエルらだけではありません。東洋の諸賢人も中東の預言者も西洋の哲学者も,ある意味においてキリスト(福音の秘儀)の預言者だったのです。

「あなた方がすべての聖徒たちと共に,エクレーシアの広さと長さと高さと深さを理解することができるように」(エペソ書3-18)
 

以下は関連書籍です。
パウロ書簡自体の意味を知りたい方はどうぞ。


以下は関連動画です。
聖書の中心であるローマ書の研究です。


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