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13番目の使徒


使徒とは何か?


 聖書における使徒とは,イエス・キリストの弟子です。別の言い方をすれば,キリストに遣わされて福音を説く者です。しかし,聖書の文書によって,中心となる使徒が異なります。

マタイ伝


 マタイ伝におけるキリストは,律法を重視します。なぜならマタイ伝は,パレスチナ原始キリスト教会の立場によって書かれたからです。故に,マタイ伝における真正の使徒は,教会の権威であるペテロです。

ルカ文書


 ルカ伝におけるキリストは,ギリシャ文学の様式を用います。なぜならルカ文書(ルカ伝+使徒行伝)は,ヘレニズムキリスト教会の立場によって書かれたからです。故に,ルカ文書における最大人物は,異邦人の使徒パウロです。

マルコ伝


 マルコ伝におけるキリストは,弟子を頻繁に叱責します。なぜならマルコ伝は,原始キリスト教会の権威主義に反抗して書かれたからです。故に,マルコ伝における使徒は,十二使徒ではなく多くの民衆(罪人)です。

ヨハネ伝


 福音書記者ヨハネにとって,使徒は「キリストを紹介する者」を意味しました。イエスを世に紹介した人物,それは洗礼者ヨハネです。故に,ヨハネ伝における真の使徒は,洗礼者ヨハネです。

ヘブライ書


 ヘブライ書は別名「第五福音書」と呼ばれています。書簡の形式でありながらも,「今生きるキリスト」を物語っているからです。昔生きたキリストではなく,これから来るキリストでもなく,今生きて神と共に働く大祭司キリスト。すなわち,ヘブライ書における使徒は,イエスご自身です。

黙示録


 新約聖書の最後に位置する黙示録は,世界の破滅を予言した文書ではありません。人間の心理的覚醒を描写した作品です。生まれながらの私である自我(エゴ)から,神の似姿である本来的な自己(セルフ)へ。集合的無意識の世界から浮かび上がる内なるキリスト性(Christ consciousness)。私たちは,黙示録の著者と似た体験を経て,遂に自分の本性に目覚めるのです。故に,黙示録における使徒は,読み手である私やあなたです。

歴史的推移


 保守的なカトリックは,マタイ伝を重んじました。パウロの信仰を尊重したプロテスタントは,ルカ伝を重んじました。多くの聖書学者は,原資料に忠実なマルコ伝を重んじました。神秘主義的な東方正教会は,ヨハネ伝を重んじました。イエス自身への回帰を唱道した内村鑑三(無教会主義)は,ヘブライ書を重んじました。しかし,無宗教主義を主張する私は,黙示録を重んじます。

宗教の終わり


 誰が人を救うのでしょうか?神です。誰が人を殺すのでしょうか?宗教です。神は人を救い,宗教は人を殺します。ならば,宗教の本質とは,一体何なのでしょうか?それは,神を対象化(objectivigation)し,その神に依存して己が無力になることです。客体化された神を信じ,世界の傍観者と化すことです。

最後の使徒


 このような悪しき宗教主義を破砕するのは,黙示録の役目です。そして,黙示録の追体験は,十二使徒への偉人崇拝を破棄し,我々をして13番目の使徒に為さしめます。つまり,本来的自己に覚醒した者は,己自らが神の使徒と化すのです。
 聖書は未完の書です。そして,聖書は我々に,神の事業を続行するよう説いています。聖書を理解した者,生ける神を信じる者,キリストの精神を重んじる者は,神の国成就に向かって身命を賭すのです。

「自己(わたし)はすぐに来る」(黙示録22-20)
 

参考書籍です。



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