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キリスト教の歴史~ローマ書解釈を中心に~


福音


ローマ書とは何か?


 新約聖書には27の文書があります。その中で,最も体系的に福音を解説した文書が,使徒パウロの主要書簡であるローマ書です。宗教改革者ジャン・カルヴァンが述べたように,ローマ書は聖書の中心と言えるでしょう。
 ローマ書は,その絶大の感化力により,多くの人々に影響を与えてきました。アウグスティヌスはローマ書を読んで回心し,異民族の侵入により大混乱する古代末期に福音を弁護。ヨーロッパ中世の礎を築きました。ルターはローマ書を読んで回心し,欧州全土を敵に回して宗教改革を断行。近代世界の扉を開きました。内村鑑三はローマ書を読んで回心し,独り立って国民の大堕落を糾弾。滅亡に向かってひた走る日本社会を警醒しました。彼らだけではありません,ウェスレーもバンヤンもクロムウェルも皆,ローマ書に大きく感化され,人類史に残る偉業を成し遂げたのです。

ローマ書の構成


 ローマ書の正式名称は「ローマ人への手紙」です。手紙と申しましても,当時の手紙は一種の論文でありまして,相手の安否を問う書簡であると同時に,自分の主義主張を述べるレポートでもありました。特にローマ書は,パウロが意図して自分の思想を体系的に述べた書簡です。現代人の感覚からすれば,手紙というよりも論文に近いのではないでしょうか。
 ローマ書は三部で構成されています。第Ⅰ部である1章~8章は「個人の救済」を扱い,第Ⅱ部である9章~11章は「人類の救済」を述べ,第Ⅲ部である12章~15章は「共同体のあり方」を論述しています。さらに,第Ⅰ部は二つに分けられます。人間は,過去に犯した諸々の罪(sins)をどう処分すべきか?この問いに答えた箇所が,「贖罪の信仰」を解説した1章~4章です。人間は,悪の本陣である罪そのもの(the sin)をどう処分すべきか?この問いに答えた箇所が,「聖霊の降臨」を描写した5章~8章です。
 つまり,ローマ書の理解とは,三つの山を制覇するようなものです。第一の山は「個人の救い」です。第二の山は「人類の救い」です。第三の山は「新しい共同体」です。三つの山はだんだんと高くなり,山頂からの光景はだんだんと美しさを増します。福音における神の恩恵は,三つの山を制覇した時に初めて理解できるのです。

福音の解釈史


伝統的キリスト教


 西洋的キリスト教は,伝統的に3章をローマ書の絶頂と考える傾向があります。つまり,キリストによる十字架の贖罪,教義学的に言えば義認論を,福音の中心と考えたのです。それは,ルターやカルヴァンの聖書注解を読めば明らかです。もちろん,「正統的キリスト教は他の箇所を軽視した」と言いたいのではありません。彼らもまた,信仰義認だけでなく,聖化や再臨・予定論など,聖書に記載されている内容を詳細に論じています。が,アウグスティヌスやルター・カルヴァンの言語裏に見え隠れする本心は,贖罪を福音の中心と考える傾向です。

内村鑑三


 伝統的キリスト教のローマ書理解に一石を投じたのは,日本の預言者・内村鑑三です。彼は「ローマ書の研究」において,8章こそ聖書の中心であると述べています。つまり,罪そのものを解決する聖霊の降下こそ,福音の本質であると喝破したのです。
 ルターは偉大です,しかし,内村鑑三はもっと偉大です。ルターはカトリック教会を否定しつつ,国家と聖書に依存しました。西洋的キリスト教の独善と矛盾は,ここに起因します。しかし,内村鑑三は教会制度そのものを否定し,霊なるキリストにのみ依存したのです。
 内村鑑三の主張した無教会主義は,キリスト教会の否定であって,キリストの否定ではありません。彼は,白人に独占されたキリスト教的福音を破砕し,全人類を救うキリストの福音を再興したのです。そういう意味において,彼の無教会主義は,全人類教会主義の逆説的表現と言えるでしょう。

カール・バルト


 ローマ書解釈の歴史に新しい足跡を残したのは,スイスの神学者カール・バルトです。彼は「キリスト論的集中」を唱え,伝統的教義に縛られることなく,聖書全体をキリストによって解き明かそうとしました。バルトの実質的な処女作「ローマ書講解」は,刮目すべき著作です。なぜなら,「真理はキリストであってキリスト教ではない!」と宣言し,脱・キリスト教を目指したからです。その後,彼の神学は「教会教義学」において展開され,多くの神学的果実をもたらしました。
 バルト神学の特徴は,ローマ書第二部(9章~11章)の秘儀を明らかにしたことです。つまり,人類の救済こそ神の御心であり,「世界史は神の恵みの選びである」と論じたのです。伝統的キリスト教の予定論とは,「神は予め“救われる人間”と“滅ぶ人間”を定めておられる」という思想であり,その根底にあるのは「冷たい神の観念」でした。しかしバルトは,予定論の誤謬を一刀両断します。神が予め定めたのは,ある人間を救い,ある人間を裁くことではない。神が予め定めたのは,神が全人類を救い,全人類の代わりに神が裁かれることだ。裁くべき神が人間の代わりに裁かれ,裁かれるべき人間が神の犠牲によって救われる。ここに福音の秘儀がある。そうバルトは述べたのです。

ベルジャーエフ


 ルター→内村鑑三→バルトを経て,ローマ書は11章まで解き明かされました。しかし,霊的に鋭敏な内村鑑三も洞察力に富んだカール・バルトも,12章~15章の教会論を軽視しました。なぜでしょうか?それは,キリスト教の終末論を誤解したからです。
 終末論には三種類あります。第一に宇宙的終末論です。これは,後期ユダヤ教の終末論であり,世界の破滅と人類の滅亡を意味しています。第二に個人的終末論です。人間に必ず訪れる死を見つめ,来世に思いを馳せることです。古代ギリシャやインドの終末論です。第三に実存的終末論です。人間が生ける神に接し,本来的な自己に覚醒する霊的体験です。
 イエスが説いた終末論とは,第三の実存的終末論でした。しかし,後期ユダヤ教に呪縛された弟子たちは,イエスの教えを宇宙的終末論として解釈し,この世の破壊的未来を信じたのです。世界の破滅を信じる者が,世界を能動的に変革しようと考える筈がありません。また,キリスト教徒のみが救われると信じる者が,他宗教を理解し受け入れる筈がありません。キリスト教特有の傲慢と偏狭は,後期ユダヤ教の終末論に由来するのです。
 内村鑑三は終末論を誤解していたが故に,晩年,突発的にキリスト再臨運動を起こしました。カール・バルトは終末論を誤解していたが故に,晩年,「再び神学を構築し直したい」と後悔しました。両者とも,キリストの終末論を誤解してしまったのです。そこで,キリスト教の終末論に一石を投じた人物が,ロシアの哲学者ベルジャーエフでした。ベルジャーエフ自身は聖書を論じませんでしたが,キリスト教の欠陥を見抜き,その解決策を呈示したという意味で,大いに賞讃されるべきでしょう。

福音の成就


福音の秘儀


 贖罪論(3章)→聖霊論(8章)→予定論(11章)→終末論と,時代を経るごとにローマ書の内容は明らかにされました。そして遂に,ローマ書解釈の歴史は,その理論的結論に至らねばなりません。すなわち,教会論(15章)こそローマ書の絶頂であることが開示されねばなりません。ローマ書のいう教会(エクレーシア)とは,キリスト教でいうところの教会(チャーチ)ではありません。パウロが構想した教会とは,すべての民族・文化を網羅する全人類的教会であり,全く新しい共同体です。その証左に,パウロは教会論(12章~15章)において,プラトンの主著「国家」の用語を多用しています。
 パウロの弟子筋にあたるエペソ書著者(オネシモ?)は,教会論こそローマ書の本質であることを認識していました。彼は,神・人類・自然を包含する有機的共同体こそ福音の秘儀であることを理解していたのです(3-18・19)。

第二枢軸時代


 哲学者ヤスパースは,紀元前5世紀前後を枢軸時代と呼びました。なぜなら,現代文明の土台となった宗教が同時発生した時代だったからです。中国では孔子と老子が活躍し,インドでは釈迦とヴァルダマーナが誕生。イランではゾロアスターが啓示を受け,ギリシャではソクラテスやピタゴラスが活躍。そしてユダヤでは,旧約最大の預言者と称されるエレミヤとエゼキエルが奮闘していました。そして時満ちて(ガラテヤ4-4),神はユダヤの地にイエス・キリストを遣わし,福音を宣べさせたのです。
 枢軸時代に誕生した宗教により,人間は部族の時代から民族・国家の時代に移行しました。仏教やキリスト教・イスラム教などの世界宗教により,部族間の闘争が解消され,より大きな共同体へと進化したのです。しかし今や,人類は民族・国家同士で争い合い,二度に渡る世界大戦を引き起こしました。それだけでなく,原爆の誕生により,人類は自らをも滅ぼす力を手に入れてしまったのです。再び,精神的革命が起こらねばなりません。紀元20世紀に明らかになった現代文明の矛盾。この矛盾を解消するため,人間は国家から全人類的な共同体へ移行せねばなりません。
 第一枢軸時代は,イエス・キリストによって成就しました。いわば福音の時代です。第二枢軸時代は,聖霊としてのキリストによって成就します。すなわち,黙示録における永遠の福音(14-6)です。深層心理学でいうところの「集合的無意識から顕現する自己(セルフ)」です。すべての人が本来的自己に覚醒する時,イエスのいう神の国,パウロのいう教会の理想が成就します。

ソフィア論の系譜


 パウロの教会論は,3人の思想家に継承されました。第一に,ドイツの文豪ゲーテです。理想的共同体であるソフィア論は,大作「ファウスト」において述べられています。それにしても,「最も偉大な異教徒」と称されたゲーテがキリスト教の秘儀を喝破したとは,何とも皮肉な話です。第二に,ロシアのプラトンと称されるソロヴィヨフです。ソロヴィヨフは,ゲーテのソフィア論を受け継ぎ,発展させ,宗教的統合と民族的調和の理想を掲げました。第三に,ロシア宗教革命の立役者セルゲイ・ブルガーコフです。ブルガーコフは,ソロヴィヨフのソフィア論を受け継ぎ,より具体的な経済的共同体を構想しました。西方的キリスト教が贖罪論を中心にキリスト教神学を構築していた頃,東方的キリスト教が福音の秘儀を解明しつつあったのです。
 いずれにせよ,福音は二千年間,その秘儀を解明されないまま現代に至りました。ローマ書の本質,パウロの本心は,今こそ解明されねばなりません。

「ローマ書は,時が来るのを待っている」(カール・バルト「ローマ書講解」序文)
 

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