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死後の世界


はじめに


 死後の世界は存在するのでしょうか?ある人は「存在する」と信じ,ある人は「存在しない」と断じます。いずれにせよ,死後の世界の有無は証明できません。しかしながら,私は死後の世界を信じています。というよりも,死後の世界を前提に生きています。

死後の世界がある理由


道徳的理由


 死後の世界を信じる理由は三つあります。第一に,人間の倫理的方面です。もし「人は死んだら終わり」であるのなら,倫理的動機が成立しません。「どうせ明日は死ぬのだ。だったら,好き放題やろうではないか」こうした心理によって,人間はとめどなく堕落するのではないでしょうか?カントが「実践理性批判」で述べているように,神・来世(死後の世界)・自由意志は,人間の尊厳のために必要なのです。

先天的理由


 第二に,人間の先天的特質です。人間の性格や才能は,遺伝や教育・環境によって決定されます。しかし,遺伝や教育によって説明できない何かがあります。試みに,赤ん坊を思い出して下さい。両親からの遺伝や家庭環境では説明できない「独特の傾向性」があるではありませんか。それはどこからやって来たのでしょうか?私は,赤ん坊の誕生と成長を観るにつけ,生まれる前の世界を前提せざるを得ないと考えています。そして,生まれる前の世界があるのなら,死んだ後の世界もあるに違いありません。

霊界の報告


 第三に,幾人かの霊能者が,死後の世界を報告している事実です。スウェーデンボルグの「霊界日記」や源信僧都の「往生要集」,エドガー・ケイシーのリーディングなどです。私は,彼らの著作をすべて読みましたが,あまりの生々しい報告に,作り話とは到底思えないのです。それに,彼らは特殊能力を持つ霊能者でしたが,この世においては優秀な人物でもありました。スウェーデンボルグは行政官・大臣・科学者でしたし,エドガー・ケイシーはきわめて全うな常識人でした。当時一流の科学的知見を持ち,人が驚くほどの倫理観を抱く者が,死後の世界を妄想で書き上げたなどと考えることはできません。

哲学者が見た死後の世界


 死後の世界を主張した人物の一人に,哲学者シェリングがいます。彼は,最愛の妻クララの死によって絶望しました。そして,絶望のどん底の中で霊的能力が覚醒,「クララと再会する」という体験をしました。それを書き記したものが,知られざる名著「クララとの対話(1809~1812)」です。では,ヘーゲルと並び称されるほど最も理性的な哲学者は,死後の世界をどう記述したのでしょうか?

死=次元転換


 死とは,人生の終わりではありません。死とは,一つの通過点にすぎません。もっと具体的に言えば,死とは「より高い次元への上昇」なのです。生と死は,陰と陽のようなものです。生は,昼のような夜であり,一種の眠りです。死は,夜のような昼であり,一種の目覚めです。私たちは,朝起きることを恐れません。なぜなら,覚醒と睡眠は表裏一体の自然現象だからです。それと同じように,この世とあの世は表裏一体であり,死とはこの世の眠りであり,あの世の目覚めなのです。故に,死を恐れる必要はありません。

魂の住居


 死後の世界は,霊魂の住居です。死後の世界には段階があり,魂のレベルに応じて住み分けられています。神に側近き者はより上の世界へ,罪に汚れた者はより下の世界へ。我々は,それぞれの魂に相応しい世界へ赴きます。また,魂のレベルだけでなく,それぞれの霊的傾向性に応じて,様々な場所があるそうです。
 そういえば,スウェーデンボルグの「霊界日記」にも,同様のことが書かれていました。死後の世界は三つに分けられており,神の御用を果たした偉大な人間は天界に,善良で人間らしく生きた者は霊界に,罪に罪を重ねた者は地獄界に行くそうです。いずれにせよ,肉体的美醜や社会的属性によって糊塗してきた人間の本質が,赤裸々に暴露される場所なのでしょう。

霊界との交信


 もし生を昼,死を夜とするのなら,夢の世界は夕方と考えることができます。シェリングは言います。人間は,夢の世界を通して,霊界に参入することができる,と。夢には三段階あります。最も低次な夢は,身体的欲求を夢に映し出したものです。フロイトが「夢分析」において述べているように,性的欲求や人生の願望を夢に投影しているのです。
 より高次な夢は,魂の中で将来的なものの認識をもたらします。いわゆる予知夢です。身体的欲求や汚れた欲望から離れた魂は,研ぎ澄まされた感性によって無時間的世界に飛翔し,来たるべき事象を覗き見るのです。古代におけるシャーマンや巫女の予言も,このようにして受信されたのでしょうか?
 最高段階の夢は,魂が霊界に参入する状態です。霊魂がその故郷である霊界へ行き,この現実世界を超越した出来事を見るに至るのです。あの世へ通じる扉は,神に許された者にのみ開かれます。人間は,霊界において,様々な体験をします。ある人は,めくるめくビジョンを通して,自分の転生の記憶を開示されるでしょう。ある人は,走馬灯のような映像を通して,他の人々の生まれ変わりを見るかもしれません。ある人は,霊人との対話を通して,己の使命を遂行するためのインスピレーションを授けられます。

おわりに


 昼の世界と夜の世界があるように,生者の世界と死者の世界は存在します。生者は,肉の身体を持ち,時間的世界に生きています。死者は,霊の身体を持ち,無時間的世界に生きています。生者と死者は,生きる世界は違えども,霊的本質は同じです。つまり,私たちは皆,己の内なる霊的本質(イデア)を通して,あの世と繋がっているのです。死後の世界があるにせよないにせよ,前世の存在を信じるにせよ信じないにせよ,一度は「偉大なる常識人たち」の霊界報告に耳を傾けてはいかがでしょうか?

「我を忘れることができるようになるのに応じてのみ,人はより高いことをなしうる。・・・自己に囚われる人間は,彼らが囚われている,あるいは囚われるであろう状態に応じて,真に精神的(霊的)な制作が不可能になる」(シェリング)
 

以下は参考書籍です。

① スウェーデンボルグの「霊界日記」について

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② エドガー・ケイシーの「前世リーディング」について

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