初めての説教①
こんにちは。
「究極の塾経営突破術」
「究塾」の石原です。
私の塾の先生としての生活も3年目に入りました。
「出勤時間自由」「服装自由」という塾も、いよいよスーツを着て出勤になりました。
中1から持ち上がってきた子たちがいよいよ中3受験生になりました。その頃は確か4クラス。
この子たちの入試が終了して後悔しましたが、中3に力が入り過ぎて非常にバランスの悪い教室運営になっていました。
合格実績が出れば一発逆転と考えていましたが、保護者様の求めているものはそれだけではないことを学ぶことになりました。
これはとても大事なことですので次回触れますね…
当時の入試は私立志向が強く、Ⅱ類制度ができたものの、京都の公立高校人気が巻き返してくるのはずっと後のことでした。
男子なら洛星(まだ高校募集していました)・洛南(共学ではありません)。
結果として、難関希望のクラスから洛南Ⅲ類(今の空)3名・Ⅰ類(今の海)
2名合格と小さな塾からは驚くような結果が出ました。
特にⅢ類合格者の一人は全体で2番の合格でした。なぜ2番と分かったかというと1番と3番の合格者を出した塾の先生が教えてくれたからです。
個人情報が厳しく言われるはるか前のことでした。
この塾長さんは誇らしげに「塾の流れが変わった」と続く名文コピーのチラシを早速新聞に折り込みました。
まぶしかったです。
この塾さんは洛南合格に実績を出し続け業績拡大し、上場しました。
ちなみに2番で合格してくれた男子生徒さんはその後東大理Ⅱに合格。
千葉大で准教授として薬学の研究をし、現在は外資系の薬品メーカーにいると聞いています。
彼が非常に優秀なため、負けじと当時のクラスが「テント効果」で引っ張られるように頑張っていました。
18人のクラスでしたが、残念にも入試直前に目のけがをして入院した1名を除いて全員第一希望に合格したと記憶しています。(ちなみに女子は2名だけ)
余談ですが、中3の他のクラスにはオリンピック3000メートル障害に出場した女子生徒さんも在籍していました。
改めてすごい子たちがいたんだなあと感心します!
前置きが長くなりました。当時の校舎には3人掛けの椅子で21人詰め込めば酸欠になりそうな部屋が2部屋しかありませんでした。それに3畳ほどの職員室。本当にじゅうぶんなことをしてやれなかったなあと悔やみながら、逆にそれでも子供は育つものなのだなあとも感心します。
それを実感させてくれた忘れられない出来事がありました。
この18人は優秀でまじめな子たちでしたが私自身が生徒たちの志望校の過去問を研究するにつけ、今のままでは受からないと、うすうす感じていました。もっと能動的な受験勉強をさせなければ歯が立たないと…
タイミングよく前の年にKBS京都の「洛南高校入試問題解説」に出演させてもらったのですが特に洛南の問題は尋常ではないと感じていました。
考えついたのは、大学受験の数学の勉強の仕方。これから入試まで、良問を解いて行ってもたかが量は知れている。
一問一問が確実に入試問題を解くための切れ味の良い武器になるレベルまで習得されなければ間に合わないだろうと。
何とか夏休みまでに中3数学の全範囲を公立入試レベルでは終え9月から難関入試問題の演習に入りました。
運よく英俊社の「近畿の高入 数学」の刊行が始まったころでした。毎回、膨大な課題を出し、解説希望のあった3~5問程度の大問を次の授業に解説する形式としました。
初めての本格的受験生指導です。私自身も塾から帰った後布団の中で半泣きになりながらノートに問題を予習していました。(涙)
あなたも同じような記憶がありませんか…
初回はあらかじめ解説する問題を4問選定していました。
解説が終わると次回全く同じ問題で「解き直しチェック」のテストをする、とさらりと予告して授業を終了しました。
実はここに大きな意図があったのです。
何も気づいていない子供たちはたぶん普通にさっとノートの見直しをしてきたと思います。
次回の授業が始まりました。テストは3問。
30分と板書。
テスト終了を告げると全体がざわつきました。
口々に「全然できなかったと」ぼやきながら答案提出。
私は心の中でにんまりとしていました。
次の瞬間…
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