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[留学体験記]#13英語が話せるようになるまで…(前編)

僕が英語を今のレベルになるまで人生で大体3回ほど転機がありました。それをここで紹介します。3つ目の大学時代は色々と詳しいことがあるので、後編でご紹介です!

中学時代

僕は両親の仕事の都合で、中学1年生から2年の終わりまで2年間を上海で過ごしました。「なんだ…帰国子女か…」と思われるかもしれませんが、家でも学校でも日本語だったので基本は日本語でした。

しかし、1つだけ違いました。サッカーチームはすべて英語でした。コーチはアメリカ人とイギリス人で、チームメイトはドイツ、シンガポール、アルゼンチンと多国籍な為、すべて英語でした。ここでは英語の耳を養いました。若い頃は耳が慣れるといいますが、それでも英単語能力が低かったので、英検準2級を取得するように目標を立ててました。

中2の半ばで取得をしました。ここではほぼ文法ド返しで、とりあえず積極的に行く!という感じでしたが、あるときを境にわからなくなりました。

入団して3か月で英語がわかる!と思い、5か月で、あれ…言ってることがわからない…というスランプです。

実は、経験ですが、英語はある一定区間で理解度は上昇傾向になり、途中から横ばいになります。これは今迄「わかったつもり」だっただけで、実は一切わかっていませんでした。それからは、ただ単語を頭に入れて、聞こえた単語と覚えた単語の照会をする工程でした。

ここではスピーキングの能力が多分上がりました。

高校時代

中学時代に上海にいたことが大きく影響して、大学でももう一度海外に行きたいと考えたので、高校は海外大学進学者が多い高校に行きました。新宿にある私立高校です。

高校では1年の頃からNativeの優しい英語を聞いてました。さすがに、先生も高1にがっつり英語で話すのは無理だったようなので、ゆっくり、優しい英語で話していた記憶があります。

高校ではWriting, Reading, Listeningをそれぞれの授業で鍛えていたような感覚です。それぞれの授業は海外からの先生が行うので、授業期間は英語必須で一切日本語には反応してくれません。しかし、待ってはくれました。なので、ゆっくり3年間かけて英語を話していたという状態でした。

そして、大学進学を目指して3年生の1月の1か月間、1日最低でも8時間英語の勉強をしていました。多分、一般の受験生と比べると受験勉強は微塵もしていませんでした。

それでも英語だけは勉強していました。勉強法は過去にIELTSの勉強法で紹介しています。

後は後半戦へ…


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