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地球の裏側の日本を見るーブラジル・サンパウロー

ブラジルに日本人街があるのをご存知ですか?
100年以上前に遠く離れたブラジルに渡った日本人。
彼らの苦労と努力の証の街です。
2007年は日本人移民99年。翌歳の100年記念の準備に沸き立っていました。

ブラジル移民とは?

明治41年以降、約100年間でなんと13万人の日本人がブラジルに移住しているんです。
正式な数ではありませんが、今も約160万人の日系人が住むといわれています。
ブラジルへの日本国公認の移民は、ほんの数十年前の1993年まで続いたそうですよ。
つい最近ですが、全く知らなかったです。

明治時代の移民たちは、広い農地が手に入る!
そんな政府の謳い文句に船に乗り込み、何ヶ月もかけてブラジルに渡りました。
しかし、実際にブラジルが求めていたのは奴隷として働く人たちだったそうです。
耕しても耕しても何も生えない荒地に落胆しましたが、とうてい帰れる距離ではありません。

土や品種の改良に改良を重ね、ブラジルの地に這いつくばり苦労と努力を重ねた日本人がたくさんいます。
日本人ってすごいな、と改めて思いました。

サンパウロの日本人街、リベルダーデ

今は日系3世、4世の世代になって来ましたが、リベルダーデでは旅行ならば日本語だけでも生活できました。

街をフラフラ歩いていると、チラシを手渡され「あなた3世でしょ?」と声をかけられるほど。
チラシは浴衣の着付け教室でした。

折り紙や浴衣、日本の文化を受け継ぐ取り組みがあちこちで行われていました。

日系の店の数も減ってきていて、中国や韓国の店も見受けられましたが、どこも日本語が飛び交っています。

メキシコから半年かけて南下し、ずっとスペイン語だったので不思議な気分でした。

大阪橋

日本橋ならぬ大阪橋が、幹線道路の上にかかっています。
今は日本でもなかなか見ない橋ですよね。

このように日本よりも日本を感じる場所がたくさんあるんですよ。

日本の調味料が手に入る

日系スーパーがあり、現地のものはもちろん、日本食材もたくさんあります。
食文化の違う国を歩いていると、自炊がしたくなるほど。

リベルダージのとんかつ屋さんに入りました。
キャベツとごはんはおかわり自由。
注文も会計も日本橋。
引き戸を開けてのれんをくぐる店。

海外の日本食店って残念なところが結構あるんです。
味噌汁の具材とか、天ぷらの食材とか。
そういうのが一切ない、日本を味わえる店でした。

リベルダーデ医療センター

リベルダージの中心にある病院です。
移民は日本国籍がない人も多く、ブラジル国籍を持てない人もいます。
国を捨ててブラジルに渡ったものの、ブラジルでは国籍をもらえず。
日本国籍も戻せず、なのだそうです。
ひどい話ですよね。
そんな訳で年をとって年金をもらう手立ても、保険適用もできない人たちがいるのです。

私が出会ったのは、当時92歳のおじいさん。
この年にしてまだ現役で働いていました。
朝早くでかけ夜早く寝てしまうので、ゆっくりお話しはできませんでしたが、日本人移民のデメリットを聴かせてくれました。
県人会の集まりも盛んで、各都道府県出身の人たちが顔を合わせる場所もあるそうです。

さて、この病院、一回の診察が一律料金なんです。
50レアル、つまり1回$100。
うろ覚えですが、会に入っているとその半額だったと記憶してます。
2007年当時なので金額や条件は変わっているかも知れませんね。

私が診てもらったのは、日系3世のサイトウ・シルビア先生。
日本語はできません。
ただ、この病院はポルトガル語ができない人には日本語が出来る通訳が付くんです。

社会的弱者になってしまった移民達を大きく支えている病院です。

ブラジル日本移民資料館

リベルタ―デに行ったら絶対に訪れてもらいたいのがこちら。

ブラジルに渡った日本人たちの歴史が資料や写真、品などで保管されています。

写真だけでも1000枚という数。

当時「日系ブラジル人」という人達が日本にたくさんいたことは知っていました。が、祖先がどんな思いでブラジルに渡ったか、どんなに苦労したか、どんな生活を送っていたか、全く知ることがなくこの地に渡ってきました。
日本人として行く価値のある資料館です。

ブラジル日本人移民館

add: R. São Joaquim, 381 - Liberdade, São Paulo - SP, 01508-001
tel: +551132095465

ブラジルで感じる日本

リベルダーデ中心地に、週末になると屋台が並びます。
お好み焼き、たこ焼き、今川焼き、とうもろこしなどなど。
地球の裏側とは思えないほどの日本の風系です。
もちろん味もなんちゃってではありません。
これには日系企業の努力を痛感しました。

日本を離れて半年。まさかブラジルで日本の味を堪能できるとは思ってもみませんでした。

ちょうどこの週は釈迦の誕生日
リベルダーデの広場にもお釈迦様が祀られ、甘茶があげられるようになっていました。

高校以来の甘茶かけを、まさかブラジルでするとも思ってなかったですね。

他の土地にも「日本」が根付いてます。
首都ブラジリアのショッピングモール。フードコートの中に寿司屋がありました。

これは日本人が暮らす町ならよくある光景ですが、他の国と違うのは、寿司のネタが日本なんです、
現在、マレーシアにいますが、あ!トロ!と思ってよく見るとカニカマが乗っていたり、マヨネーズがどっちゃりかかっているのが常。
そう言うこともなく、日本で見かけるようなお寿司がおりに入ってました。

そして、お店で食べてる人たち。
絶対日本の血が混ざってないだろうブラジル人達が、当たり前のようにお箸を使って食べていました。

ところ変わって、コパカバーナビーチ。
砂浜でサッカーやビーチバレーをしてる傍ら、コーンを売ってる屋台を発見。
中南米の主食はマイス。つまりとうもろこしです。潰してトルティーヤのとして食べますよね。
ただ、コーン自体は美味しくない。
それまでの記憶を元に、期待せずに買ってみました。

茹で上がったとうもろこしに塩がふられています。
これは!「コーン」ではなく「とうもろこし」です。
甘くて美味しい茹でたてのとうもろこしを堪能しました。

日本人の努力がブラジル人の日常生活までに大きく影響していることを感じました。

リベルダーデ。
この小さな区画に凝縮された日本。

中国や韓国の人や店も増え、街は変わりつつあるようですが、
ここから一歩踏み出すと、ブラジルです。
言語はポルトガル語に変わり、時々後方を気にしていないと後をつけられてる始末。

治安の悪いブラジルで、日本人が唯一ホッとできる街です。
あ、それでも治安は決して良くないので気は抜けませんよ。



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