見出し画像

なぜ人を好きになるのか

そのすきは幻想であり、なければならないという思い込みからの発生であるのではないかという結論である。

そもそも、人を好きである状態とは何か?

これがわからない。

問題があるとしたら、この好きであるという表現が0か1かで決めるようなものであるからな気がしてくる。

恋バナという恋バナをしたことがないが、妄想の中の恋バナでは気になっている人を友人間で公言するもののようである。

自分の中では結構な人がこれ(好きな人)に該当する。したがって、その人への好意を否定してきた節がある。自己評価が謎に高いせいかもしれない。

自分でしか理解できないかもしれないが、自己評価が高いのはわかっているはずだ。プライドが高いととれるかもしれない。

街中で通り過ぎるときに、人のことを見ないで今はまっているアイデアや仮説の思考する行いする若しくはそのそぶりをすることで、あたかも人に興味がないようにふるまう感じである。

どこかで聞いたことがあるレベルの無根拠な言葉だが、人は興味があるものに対して最も興味のない反応をするという言葉を聞いたことがある。

逆説っぽいので今の私もそう思い込んでいるためにこれを引用しているのだろう。
ちょっと調べてみる。

これによると、自分は自信がない人間になっている。面白い評価かもしれない。

これによると、普通に興味ないってことになりますね。

女性側の話を自分に帰結させようと思ったけど、ちょっとめんどくなってきたので、話を戻す。

と思ったけど、一つ思ったのは、すれ違う時の視線をどうすればいいかな?って考えたときに、まっすぐ前を向いとくという結論についてそれを実行しているという現状というか過去がある。

これまたよくわからんが。

興味ないのかも。実際まちの中ですれ違うそのタイミングでの興味は別に向かっているわけだし。

自分の例に挙げた興味関心というのはかなり一時的なもので、注意という言葉のほうが適合しているのかもしれない。

それでようやく話を戻すわけだが、自分の中での今まで何も考えずに一時的に採用してきた好きという言葉への定義は
「その人のことを考えてばかり」とか考える時間をその人物に関するもので使っていく場合に好きと定義した。

そして最近過ごしてきて、これにいくつかの疑いの余地がかかったのでそれについて考えていこうと思う。

それでは、やっていきましょうか。

人を好きになっていないのでは

人を好きになるという上の定義を持ち出した場合、今までその心情はなかなか穏やかではなかった。

自分の中で興味のある人物(ここでは女性に絞る)を食事に誘うと大体、自分が勝手に盛り上がって、相手はそんなでもないので自然に消滅していくという経験から、冷静であることが最優先事項として考えている。

そして、興味のある人物と話せそう、いい感じになれそうという直感が働くときにその人物のことを考えるのである。
シンプルに興奮である。文字にするとなかなかにキモイ。

他のタイミングを考えると、その人の行動や発言が何によるものだろうかと考察しているときである。
こちらは疑問である。興味として存在している。

おそらく、この二つがその人間に関して主に考えているタイミングであるが、過去の自分が人物を好きであると判断した最たるものは下によるものであった。

そしてこれは、男女関係ないものであり、また家族だろうが自分だろうが適用する癖がある。要は、好きという定義を使ったとして、それは異性としてという尺度には当てはまらないのである。

順番が逆になったが、興味のある人物と話せそういい感じになれそうという上の例の場合は冷静でいたほうが、目的は達成されやすいという考察を得ている。

そうなった場合人を好きになる必要はないように思うのである。

人を好きになる必要がないのでは

というよりも、好きになるという言葉に関して過大評価を置いているのかもしれない。

人間としては自分を含めて友人、家族、それ以外の人物に対しても興味関心はなかなかに尽きない。これを好きという定義で考えてよいのではないだろうか?

知り合いに恋人がいる人がいるのだが、その人は恋人のことを友人よりちょっと親しく大切な人。という言葉で説明してきた。

当時は腑に落ちなかったのだが、今考えるとそれが好きであるという正真正銘の説明なのかなと思うのである。

まあ、これで適用すると、自分は犯罪者でも興味があるので好きなってしまうが。それでも良い気がしている。(人を殺していても好きなのか?とか思考の幅は広そうである。)今はあんま考えないけど。

だから、人間関係特に恋愛と一般的に評されるような異性間の関わりにおいて、好きでなければならないみたいな思い込みがおかしいのではないか?

という考えをここに示しておく。

自分以外の他の人にこれについてアドバイスをするなら、押し付けられたような考えではなく、納得するそれがあなたの考えなんだと思った。
と、童貞が申しております。

なぜこんなことを考えたか

恋愛という自分の中では定義もあいまいな言葉によって好きという幻想を生み出したがゆえに犯してきた過ちがある。

まあ、大体自分が不審がられて終わっているはずなので、何も問題ない。たぶん。

それを次には起こしたくないのである。シンプルに。

そのために好きという言葉を理解しておくべきだと考えたからだ。

ただ、今までもこれからも自分が抱く興味や好意に関して、それを満たすための行動がかなうかどうかは、その好意に全く無関与であり、むしろマイナスに働く事態のほうが今までは多かったという事実は変わらないかもしれない。

好きという言葉ではなく、相手と自分を考えたことによる行動をとることができれば何よりである。

多くの人と話したいし、関わってみたい。ただ、人間不信が存在する。わかりやすく言うとトラウマがある。それにより自分を守ろうとしている。そしてそれを変えたいとも思っている。なので、行動を起こすのである。

最後に

人がなぜそのような行動をとったり発言をしたりということに興味を持つということを当初は考えようとしていたのだが、好きという感情を扱うには現段階で十分そうである。

なぜなら、現時点でそのすきを俯瞰できているからである。

そのすきは幻想であり、なければならないという思い込みからの発生であるのではないかという結論である。

話は変わるが、sportifyの無料お試し期間を始めたので、好きな曲がちょっと探すのが面倒になりました。まあ、変わらず探してなるべく張りますが。

Qなぜ張るの?
Aすきだから?

今好きな曲

追記20201123

昔を少し思い出したのだが、恋バナある程度はして事があるかもしれない。というか、わからん笑。

加えて、タイプミスがどうしても多くなっているので、ちまちま治すかもしれないが察するしかない。自分がわかるからある程度は問題ないけど。

追記20201126

続き書きました


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?