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外資系大企業会社員コーチ紹介(河野亮平)

経歴

1991年生まれ(滋賀県出身)

・滋賀県立彦根東高校卒業
第81回センバツ高校野球(甲子園)に21世紀枠で出場(56年ぶり)

・米国カリフォルニア州立Merced College中退
高校卒業後に米国の大学で野球をするために単身渡米。同校で日本人として10年ぶりとなるロースター(ベンチ入りメンバー)入り。同校で1年間を過ごすが日本人が多い環境に危機感を覚え転校。

・米国オレンゴン州立Southwestern Oregon Community College卒業
怪我で最初のシーズンは練習生として過ごすも最終年は開幕投手に選ばれるなど主力選手として試合に出場。野球部から奨学金をもらいながら学業と野球に打ち込む。学業成績も高い水準を維持して成績優秀アスリートとして表彰される。

・関西外国語大学卒業
帰国後は同大へ3年次編入をする。同時に京都の硬式社会人野球クラブチームに入部し主将としてチームマネジメントに取り組む。

・学校法人関西学院の専任職員として5年勤務
第一希望だった就職先に就職し5年間勤務する。これ以上ない恵まれた環境で働くもこのままでは自分が実現したい人生を生きることができないと気づき転職を決意。

・外資系生命保険会社勤務
2021年4月に転職し、現在3年目。2023年度MDRT会員。


座右の銘、一言PR

「半径5メートルを幸せに」
「未来とは他者である」


学生時代の過ごし方

一番思い出に残っているのは高校時代と留学時代です。
文武両道を高いレベルで実現するために家から1時間半かかる高校へ入学し野球部に入部しました。
毎日5時前に起きて、夜は帰ってくるのが10時過ぎ。疲れすぎて夕食を食べながら気絶するかのように寝てしまったことも何回もありました。笑 
修行僧すぎる生活でしたが幸運なことに3年生の春に21世紀枠に選ばれて甲子園に出場することができました。高校時代の野球部の仲間は一生の宝です!

自分が納得できるかっこいい生き方がしたいと思っていた18歳の当時の僕は、高校卒業後に単身渡米して現地の短大の野球部に入部しました。高校は進学校だったので「単身渡米して野球をする」という進路は先生たちから信じられないくらい猛反対をくらい、教官室で泣きながら「僕はアメリカに行きます」と言ったのを鮮明に覚えています。笑

でもあの時にアメリカに飛び込んだ経験が自分を大きく成長させてくれましたし、あの3年間がなければと思うとゾッとするくらい人生にとって大切な期間になりました。


仕事の経歴

両親が教師だったこともあり自然と関心を持っていた「教育(特に高等教育)」と留学の経験から「グローバル」という視点、かつ大好きな関西で働きたいという今振り返ると素晴らしく浅い理由で兵庫県の関西学院に入職しました。教育という素晴らしい分野に関わりながら待遇も高水準で恵まれた環境でしたが、率直に社会人になってからの自分が人生史上最も「おもんない人間」になっていることに気づいていました。

5年間の勤務を経て、もう一度自分の人生に挑戦したいという気持ちを持って厳しい環境の今の外資系の生命保険会社に転職しました。「自分の人生やキャリアについて考える文化を日本に作り、イキイキと生きる大人を増やすこと」をビジョンに掲げ、自分のお客様がそれぞれの豊かな人生を実現するためのお金の仕組みを生命保険の適切な活用を通して届けることを意識して仕事に取り組んでいます。


生徒に向けて一言

皆さんと同じく僕もまだまだ挑戦を続けている一人です。必ず死ぬことだけが決まっている一度きりの人生。せっかくなら自分が納得できる幸せなものにできればと思っています。自分の人生について一緒に考え、より豊かな人生を一緒に作っていきましょう!


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