見出し画像

元大企業会社員・MRコーチ紹介(川口敦史)

経歴

・1981年1月⽣まれ
・広島県広島市出⾝

・1999年 修道高校卒業
・2003年 大阪大学理学化学科卒業
・2005年 大阪大学大学院理学研究科高分子科学専攻 修了
      中学校教諭,高等学校教諭 専修免許「理科」取得
・2005年 帝人ファーマ株式会社入社
・2018年 帝人フロンティア株式会社 転籍
・2023年 帝人フロンティア株式会社 退社
・2023年 独立(事業立ち上げ準備)


座右の銘、一言PR

「逃げるは恥だが役に立つ」

ご存じ、某ダンスが有名なドラマのタイトルです。星野源が好きです…が、ネタのつもりはありません。この言葉の意味は「無理に立ち向かうよりも、逃げたほうが良い結果になることもある。戦うべき場所を選ぶのが大事」という意味です。誰しも得手不得手があります。人は誰でも自分自身が輝く場所があると思っています。僕自身、自分の輝く場所は大企業ではないと思い、一部上場企業から離れる決断をしました。


学生時代の過ごし方

中学校の時に成績は悪くなかったですが、家であまりに勉強していなかったので中2の冬に冬期講習に入れられました。塾の模試の成績が良かったことで特進クラスに入り、中高一貫の修道に高校から入学(合格者数20名前後)できました。
元々大学も広島大学に入れればいいか、という考え方でしたが、たまたま高校の陸上部の同級生が東大、京大を目指しているメンバーだったので「じゃぁ…阪大?」といった理由で目標設定。塾には行きませんでしたが、現役で阪大に合格しました。中学時代、塾に入る前から成績が良かったのも、塾に行かずに阪大に現役合格したのも、すべては学校の授業でちゃんと基礎を学んでいたからだと思います。
もともと教師を目指しており、その手段として化学を学ぼうと理学部に入学したので熱心に学んだかというと…。その代わり、アカペラサークルに入り、ストリートライブをしたり一生モノの友人たちができたり楽しい思い出ばかりです。大学院時代には研究室生活の傍ら、非常勤講師として大阪教育大学附属高校平野校で2年間 化学を教えました。今でも生徒と連絡を取ることがあります。


会社員時代

教員を目指していましたが、ふと「このまま教師になっていいのか?社会を知らないまま一生過ごすのか…?」と思い、方向転換。帝人(一部上場企業)に縁を頂きました。医薬品事業部門で14年間、MR(医薬情報担当者 営業職)として従事。全国の循環器領域Dr.養成専門学校のような国立循環器病研究センターや社内でも最重要施設の一つ大阪大学などを担当しました。また、社内のグループ内(2万名以上)新規事業提案の社内コンクールにチームで応募、社員投票にて1位を獲得し社長に対してプレゼンを実施、予算をもらいトライアルもしました。このことがきっかけで医薬部門から繊維部門に自主的に転籍しました。転籍した場所では素材(繊維)の製造、営業に関わり、モノづくりとはどういうことかという事を学びました。


今後のキャリアについて

17年間、サラリーマンとして営業職をしてきましたが、あらためて「やはり自分はモノではなく『人』にしか興味がない」と気づきました。原点回帰、改めて「教育」や「人がその人らしく人生を楽しむ」というキッカケづくりをしたいと思い、自身の事業立ち上げを進めています。


生徒に向けて一言

思えば、友人の多い公立高校に行くつもりだったのに、塾に入れさせられて修道高校に入ったことが自分の人生の大きな転機の一つであることは間違いありません。なぜなら、周りに素敵な友人がいたからこそ阪大を目指したし、阪大で多くの経験をしました。そういった意味で、環境は本当に大切です。また、僕が教師を目指した理由は「教えることが好きだった」、「子どもが好きだった」というのが理由ですが、もう一つ「あまりちゃんと職業を知らなかった」ということがあります。特に今の時代のようにインターネットで直ぐに調べられるという時代ではなかった…それで一番よく知っている職業が教師でした。
素敵な仲間と『学ぶ』ということを基礎からきちんと学べ、様々な職種のコーチの人たちからも学ぶことができるタディブレインは本当に素晴らしい環境だなと思います。
講師やコーチはあくまでキッカケだと思っています。変わるのは皆さん自身です!他のコーチのみなさんのようにバリバリなタイプではありません…が、僕だから伝えられること、きっかけになれる事もあると思っています。みなさんがそれぞれ輝けるキッカケになれるよう頑張ります!僕も皆さんと学ぶことをキッカケにもっと輝きます!一緒に自分が輝く場所にいきましょう!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?