仏教⑩仏像
「邪魔」(じゃま)とは、修行をしていたブッダを誘惑してさとりを開かせないようにした悪魔のことである。
お釈迦さまが亡くなって、説法を聞くことができなかった人々は大変残念に思い、なんとかあやかりたい何かが欲しいと、各地に仏舎利塔(ストゥーパ)を建てました。仏舎利とはお釈迦さまの遺骨のことで、それを納めた塔です。
お釈迦さまの骨は限られるので、のちに建てられたストゥーパには骨の代わりに宝石や経文などを納めました。もともとはお釈迦さま本人、自身が信仰の対象であるという考えではなかったことに加え、有難いお釈迦さまの姿を形に作ること自体が恐れ多いという考え方もあって、初期の仏像は人間の形ではなく、塔のようなものや、「仏足石」(ぶっそくせき)というお釈迦さまの足跡を石に刻んだもの、また、菩提樹などを用いていました。
今までの仏教に関する記事で述べてきたように、仏教の教えは哲学的な側面が大きく、元来偶像崇拝には否定的だったのですが、仏教が伝わる過程でギリシャ文化やペルシャ文化と融合しながら、仏像崇拝が優勢になりました。人々はやはり具体的な形を象徴としたいのでしょうか。
では、現在伝わる主な仏像をご紹介します。大きく分けて4種類。「如来」(にょらい)、「菩薩」(ぼさつ)、「明王」(みょうおう)、「天」(てん)のグループです。
「如来」(にょらい)
お釈迦さま中心のグループで、「如来」とは”さとりを開いた者”という意味です。「螺髪」(らほつ)という、くるくる丸まった髪の毛をしています。”螺”とは巻貝のこと。高校の歴史の八藤先生が繰り返し”ラホツ、ラホツ”と唱えて、しばらくはブームになりました。頭の上は「肉髻」(にっけい)といって、肉が盛り上がって髪の毛をおだんごにまとめているように見えます。眉間には「白毫」(びゃくごう)という白く長い毛が丸まったものがあり、世界を明るく照らす光を表しています。実は”毛”だったんですね。
手は「印」を結んでいます。”印”とは「畏れることはありませんよ」、「願いを叶えます」などのハンドサインを言います。
実在の釈迦如来(しゃかにょらい)のほか、考え出された阿弥陀如来(あみだにょらい)、「薬壺」(やっこ)を持った薬師如来(やくしにょらい)、貴族の姿の大日如来(だいにちにょらい)がいます。
「菩薩」(ぼさつ)
「菩薩」は如来になることを目指して修行する者です。出家する前のお釈迦さまの姿なので、装身具を身につけた貴族の格好をしています。「宝髻」(ほうけい)という髪を結ったスタイル。宝冠やリボンなどをつけたファッショナブルな装いです。中でも観音菩薩は、”十一面観音”、”千手観音”などと変身し、たくさんの人に手を差し伸べることを表しています。他、弥勒菩薩(みろくぼさつ)、普賢菩薩(ふげんぼさつ)、”文殊の知恵”の文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、人々の代わりに苦しみを受ける地蔵菩薩(じぞうぼさつ)などがいます。
「明王」(みょうおう)
武器で悪を追い払う明王は、基本、怖い顔(忿怒の相)をしています。髪は長く伸ばして結んだ弁髪(べんぱつ)や、怒りで悟空のように逆だった焰髪(えんぱつ)をしています。不動明王(ふどうみょうおう)、愛染明王(あいぜんみょうおう)など。
「天」(てん)
ガードマンである神々、「天」で代表的なのは、仏教の世界観の中心にそびえる「須弥山」(しゅみざん)という聖なる山を守る「四天王」です。持国天、増長天、広目天、多聞天。多聞天は一体だけの時は毘沙門天と言います。天は、仏教に取り入れられたインドの神話の神々で、女性のこともあります。美と繁栄の女神、吉祥天、帝釈天、弁財天、十二神将など。金剛力士像で有名な仁王も天部に入ります。仁王は、口を開けた「阿形」(あぎょう)と口を結んだ「吽形」(うんぎょう)の2体をセットで寺院の門などに置かれることが多いです。「阿」「吽」の呼吸で寺院の守護神として安置されるのです。
以上、日本でよく見られる仏像です。菩薩のことで言えば、さとりを求める人を指すと述べましたが、さとりを目指す全ての人を菩薩とする考え方もあるようで、であるならば、私も菩薩を名乗ってもいいかしら、と頭をよぎります。ちなみに、先ほどの菩薩の中で、「弥勒菩薩」だけは将来、救世仏としてこの世に出現することが約束されています。それはなんと、お釈迦さま入滅から56億7千万年後とされています。そのころはどんな世の中なのでしょうか。
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