仏教③お釈迦様の教え
「いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、ことごとく長いものでも大きなものでも中くらいのものでも短いものでも、微細なものでも粗大なものでも、目に見えるものでも見えないものでも、遠くに住むものでも、すでに生まれたものでもこれから生まれようとするものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。」 byブッダ
お釈迦様は、かつて一緒に修行をしていた5人の仲間に一番最初の教えを説くことにしました。お釈迦様のことを”ブッダ”ともよく言いますが、ブッダとは、”真理を知る人”、”悟りを開いた人”、という意味で、お釈迦様という意味ではありません。そしてその教えとは、「四諦(したい)」と「八正道(はっしょうどう)」といわれています。一つずつ見てみましょう。
「四諦(したい)」
人間は人間史上、あらゆる苦しみから逃れようと努力してきました。何万年もの努力で苦しみから解放されたのでしょうか。いえ、そうではありません。四諦の”諦”とは、”真理”とか、”真理のさとり”という意味です。”真理”とは、ものごとの本質、法則のことです。お釈迦様は人間に必ずつきまとう”苦”というものの真理について、4段階に分けて説きました。
苦諦(くたい)
集諦(しったい)
滅諦(めったい)
道諦(どうたい)
⒈苦諦(くたい)
人間は”苦”から逃れることはできません。人生は苦なのです。第一段階の苦諦とは、生きることは本質的に苦なのだと悟ることです。
たいていの人は”楽”が普通の状態で、”苦”は異常事態だと思っています。だから「苦からのがれたい!」ともがき、さらに苦しむことになってしまいます。
まずは苦の存在を認めて、「にげないぞ!」と居直ることなのです。
⒉集諦(しったい)
”集”とは”原因”のことです。”苦”にも必ず原因があり、その一つは”煩悩(ぼんのう)”であると悟らなければなりません。”煩悩”とは、あらゆる欲望の満足を求めてやまないこと。
欲望や本能そのものは良いものでも悪いものでもなく、ごく自然なものです。でも、それを必要以上に貪欲に追い求めることは際限がなく、不幸を呼ぶこともあります。
⒊滅諦(めったい)
”煩悩”自体を捨てることはできません。そのことは、以前のお釈迦様の修行で悟ったことでした。(下記リンクよりご参照ください)本当の原因は”心”にあるのです。それならば心の持ち方を変えることで”苦”を消滅させることができる、という真理なのです。
⒋道諦(どうたい)
”苦”を消滅することができるなら、その方法がある。それは八つの道であるとあきらかにしました。その修行の基本となる行いを「八正道」と言います。
「八正道(はっしょうどう)」
”正”とは、”真理に合った”、”調和のとれた”、”目的に合った”という意味です。心理に合った生き方をすることで、苦の中にあってもそれを苦と感じなくすることができます。
正見(しょうけん) 偏った見方をせず、正しくものを見なさい。
正思惟(しょうしゆい) 自分本位に考えるのではなく、真理に照らし合わせなさい。
正語(しょうご) 真理に、そして目的に合った言葉を語りなさい。
正行(業)(しょうごう) 日常の行為は正しく行いなさい。
正命(しょうみょう) 人のためになる仕事をし、正しい生活を送りなさい。
正精進(しょうしょうじん)自分が目指す目的に向かって正しく励み進みなさい。
正念(しょうねん) 正しい心を持ち、常に強く正しい方向へ向けなさい。
正定(しょうじょう) 正しい心が周囲に影響されて揺らがないようにしなさい。
お釈迦様はこのことを、80歳で入滅されるまで(亡くなるまで)一貫して説かれました。「四苦八苦する」という言葉がよく使われますが、お釈迦さまが説く、人が生きる上で避けては通れない”苦”の種類を表した仏教用語です。
四苦とは、生 老 病 死です。この四苦に次の四つを加えて八苦となります。
愛別離苦(あいべつりく) 大切なひとや大好きな人ともいつかは離れなければならない苦しみ。
怨憎会苦(おんぞうえく) 大嫌いな人でも出会ってしまう苦しみ。
求不得苦(ぐふとっく) 欲しいものが手に入らない苦しみ。
五蘊盛苦(ごうんじょうく)自分の心や体すら思い通りにならない苦しみ。
私たちは皆、幸せに生きる権利がありますし、誰もが幸せに生きることができます。ただ、その境地に至るまでは心の修行が必要でしょう。お釈迦様の教えを繰り返し振り返ることで、近づくことができるのです。
この先もまたお釈迦様や仏教についてお話ししますので、お楽しみに。
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