面倒くさいけど今のうちにちゃんと知っておかなきゃと思うこと-岡田和枝弁護士による憲法勉強会の振り返り
先日多治見で憲法勉強会を開催しました。 そもそも何で憲法?ってことはイラストレーターの柚木ミサトさんが的確なことをおっしゃっていたのでそちらから引用させて頂くと、憲法を知ることは「日々の暮らしを豊かにすること」だから、です。
それはこのブログで今までとりあげてきた美しい陶芸品や、興味深いイベント、素敵な人や場所と全く同じレベルのことだな、と後から気づきました。
憲法について知るって「やらなきゃいけないこと」っていうより「喜び」だったなと。 ということで勉強会の様子を(みっちり再現はできないので)かいつまんでポイントポイントで気になったところを中心に振り返ってみます。
憲法とは国家権力を閉じ込めるための「檻」だった
この日、岡田弁護士は冒頭に「檻の中のライオン」という本を紹介してくださいました。
これは楾 大樹さんという方が子どもにも分かりやすく憲法について説明するために書いた本です。 檻の中のライオン posted with ヨメレバ 楾 大樹 かもがわ出版 2016-06-22 Amazon Kindle
ライオン=国家権力 檻=憲法 憲法とはライオンという国家権力を閉じ込めておくための檻なんだという説明。権力を檻に閉じ込めることで、「国民の権利・自由を保障」するという、それが憲法の仕組み。 憲法は国民全員が守るものだと思っている人も多いと思うけれど実は違って、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他公務員」=権力を持つ立場の人たちが守らなくてはいけないもの、というのがまずは憲法の大前提。
なぜ国家権力に檻が必要なの?
それはライオンがサバンナを駆け回り獲物を狙うのがその本能であるのと同様に、「権力」は必ず暴走する、それが権力というものだからという説明でした。 それは権力につく人たちがいつも悪い人だから、という理由ではない。一人一人の国会議員が常に悪いことをしよう、国民に危害を加えてやろうと思っているわけではない。ライオンが肉食であることがその性であるように、国家権力というものはどうしても国民より国家を重視するという方向に動いていく、そういうものなのだ、ということ。それはもう歴史が十分に証明してきたものである。だから国家権力にはあらかじめ檻という歯止めをかけておかなくてはいけないんだ、と。 それを聞くと「憲法を変えたい」と主張する人たちが「権力」の側にいることにとても納得がいきます。 檻の中にいるライオンは常に檻の外に出るチャンスを伺い、檻を壊して外に出ようともがいているんだということ。
「檻」が錆びていないか、劣化していないかを常にチェックするのは国民
そしてその権力を閉じ込めておくための檻、これは一度作ったらおしまい、ではなくて、ライオンが檻から抜け出ないように常に監視をしておかないといけないのだ、ということ。
国民はライオンが檻の中にいるから安心だ、とボーっとしてちゃいけない。国民の不断の努力がないとその檻は檻として機能していかないんだ、ということ。
↑娘が勉強会で費用のカンパを呼びかけるボードを作ってくれました。
すべて国民は、個人として尊重される。
幸福追求する権利がある。
そしてここからが「憲法を知るって喜びだった」の本髄。
岡田弁護士は憲法のかなめは13条にある、とおっしゃっていました。
人間だから尊重される。100人いれば100人のすべての人間が尊重される。「個人」の生命、自由、幸福を追求する権利は国家よりも何よりも大事なんだ、ということ。何かのために私たちがあるんではない、役に立つ人間だから尊重されるんではない、人間として生まれてきた、ただそれだけで尊重されるんだ、ということ。 これはもう子どもたちにも丁寧に説明していきたいことだな、って。 金子みすずさんの詩、「みんな違ってみんないい」これはまさに13条のことだと岡田弁護士はおっしゃっていました。
公共の福祉って何?
わたしたちはそれぞれ自分が幸福だと思うことを公共の福祉に反しない限りとことん追求して良いんだ、ということが13条では保証されている。
では「公共の福祉」って何? 岡田さんはこのように説明されていました。
南に幸福があると信じる人たちは南を目指してどんどんそっちへ向かって歩いて行けばいい、西を目指したい人はそうすればいい、だけどそれぞれの方向を目指す人達が交わる交差点には信号があり、どちらかが止まらなければいけない。 それぞれの幸福を追求する時に、他の人の権利とぶつかってしまう時がある。その時にそれを調整するための道具=法律が必要となる。この場合、赤信号では止まるということ。 それが「公共の福祉」。
自分の権利と他人の権利がぶつかり合う時には調整しましょうね、ということ。 逆に言うとそれ以上の制限は私たちは受けなくて良いのだ、と。 すごく分かりやすくて腑に落ちた気がします。 ところが今、段々と、「公共の福祉」以上の制限が法律に盛り込まれてきていますよ、という指摘もありました。
自民党改憲草案はどうなってるの?
これに対して自民党の改憲草案(自民党が2012年に出した憲法をこう変えたいと思っているという案)では13条はこのようになっています。
「個人」→「人」に変わっている。大した変化ではないように思うけれど、ここは大事なポイントだと岡田弁護士。 人には「こういう人」という価値観が含まれている、と。 それは自民党改憲草案の全文に明示してあるそうです。
つまり「国と郷土に誇りを持って自ら守る」人は尊重されるが、国に誇りをもてない人、家族をもちたくない人、誇りを持っていても国を守れない人、そういう人たちが「人」の定義からこぼれおちてくる、と。 今話題になっている「同性愛者は生産性がないから彼らに税金を使う必要はない」の議員の発言もこの考えに裏付けられていることがよく分かりました。
そしてもう一つ大事なポイントとして岡田さんがあげていたのが、自民党改憲草案では「日本国民は基本的人権を尊重する」になっているけど基本的人権を尊重「する」のは国家権力の側で、国民は尊重「される」方であるということ。 ちょっとした言葉の違いによって憲法は大きく歪んでいってしまうんだということ、話しを聞いてよく分かりました。
憲法からのメッセージ
岡田さんが憲法から感じるというメッセージを話してくださいました。 憲法というのは今生きている私たちだけが「ラッキー!」と言って享受する特典ではない。これは永久の権利である、将来の国民にも引き継がれていかなければならないものである、と。
国民にとって自由で安全な生活ができるためにはどうしてもライオンを閉じ込めておくための強固な「檻」=「憲法」が必要である。檻が強固であればあるほど、中にいるライオンには居心地が悪くライオンは強く抵抗する。つまり檻である憲法は常に内側から圧力をかけられる宿命なのだ、と。憲法は自らの特性をよく理解している。そしてまさに今もその試練に堪えているんだ、と。 だからこそ私たちは「国民の不断の努力」によって、これを保持していかなければならないんだ、と。
憲法に関心のない人が多い?
平和が当たり前になっていると、その当たり前が憲法によって保障されているんだということにはなかなか気付けない。 だけれども私たちの暮らし、例えば就職、旅行、結婚などは全て憲法によって保障されているんだという身近な事例について考えてみては。 介護の仕事をしている人たちはまさに13条、憲法の理念を実践している。 様々な社会問題も憲法の観点からみてみよう。 貧困に陥った母子が無理心中をした事件。生活保護も受けていなかった。これはただの可哀想な親子、ではない。憲法25条にある生存権が侵害された親子なんだ、と捉える。
憲法9条は守れ!でも女はメシ作ってろ!じゃダメ
参加者さんによる質問タイムで面白い話になりました。 憲法問題というととかく9条問題が取り上げらえるけれど9条だけを取り上げていては若い人たちが「憲法が自分たちの生き方、暮らしを支えているんだ」という実感には繋がっていかないんだ、って話。
平和でなければ個人の幸福の追求などできないので9条はもちろん大事。でも、「戦争絶対反対!9条を守れ!」と声高に主張するおじさん達が家では「女が食事を作れ」とかやってたら憲法の意味って全然伝わらないよ、って。
戦争は2度とやだけど男女の平等については戦時中から進歩なし、じゃダメだよって。 確かに!と深く深く頷けました。 岡田弁護士の視点、同じ女性であり同世代であるってこともあるかもしれませんがすごくすんなり入ってくることが多くてあぁ、初めての憲法勉強会を岡田さんから学べで良かったな、としみじみ思いました。
他にも書きたいことはまだまだありますが、どんどんまとまりがなくなっていくので振り返りはこの辺にしておこうと思います。 だらだらと書いたこのブログは岡田弁護士の明快で親しみやすいお話を再現するには程遠いものになってしまいましたが自分の振り返りとしてまとめてみました。 せっかくこうして勉強会を開けたので、また何か次に繋げていけるといいなという思いで締めくくります。 参加してくださった皆様、多治見まで来てくださった岡田弁護士、Iさん、開催に向けて色々と手伝ってくれた友人たちに心から感謝です!ありがとうございました。