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① "炎上"は何故起きた? 5分で理解る「ひろしまタイムライン」の抱える大きな課題。

【はじめに】

 2020年9月2日、「ひろしまタイムライン」の「シュンちゃん」のツイートが再開されました。8月20日から"炎上"していたシュンちゃんがつぶやくのは実に2週間ぶりとなりますが、一体「シュンちゃん」の何が批判を受けたのでしょうか?
 

 大きな問題となったのは8月20日のツイートです。

 あれはヘイトスピーチであると指摘され、当然多くの人から批判の声があがったわけですが、NHK は謝罪せずに開き直ったため、さらに問題が広がることとなりました。しかも、その中でさらにとんでもない疑惑があがってきたのです。「みなさまの NHK」は一体どうなっているんだという話ですが、この記事ではそんな「ひろしまタイムライン」についての問題点を 5 分で分かるよう解説します。 


1.そもそも「ひろしまタイムライン」って?──

 「日本が戦争をしていた 1945 年にもし SNS があったらどんなことをつぶやいていたのかな?」
 このようなコンセプトのもと、かつて 1945 年の広島にいた人の日記をもとに、日常をツイートしていくという企画、それが「ひろしまタイムライン」です。当時の様子を実況さながらにつぶやいていくというのは画期的な試みであり、少なくない人がこれを応援していました。


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 ただ、応援している人には申し訳ないのですが、「1945 年にもし SNS があったら」というこの企画、設定からして荒唐無稽なフィクションです。

 「もしも〇〇に◇◇があったら…?」なんていうのは往年のドリフのコントです。タイトルとともにいかりや長介さんの声が聞こえてきますね。あれはコントだからこそ楽しんで見ることができたのですが、まじめに企画して放送してしまうあたり NHK 広島放送局の方々は報道とコントの区別がついていないのでしょう。一応2秒だけ真面目に設定について考えてみましたが、1945 年の日本──特高警察が"反体制分子"を弾圧し、国家総動員の翼賛体制で敗戦に向かって突き進んでいた──にSNS があったら、当然まず厳しい検閲を受けていただろうと思われますので、真面目に考えるだけ無駄な話でした。


 「ひろしまタイムライン」は「1945 年の広島で書かれた3人の市民の日記を手がかりに 2020 年の広島で暮らすメンバーが当時の生活をじっくり想像」とあります。元になった日記はあるのですが、そこに他の人間の「想像」が加わり、現代の言葉でツイートされます。注意しなければならないのは「想像」が加わる点です。そもそも日記というメディアは極めて個人の主観によるところが大きい上に、他人の「想像」が加わるのですから書かれた内容は「事実」「史実」を担保する内容ではなくなっています。NHK が書いている通り「事実誤認」を含むのです。

 「ひろしまタイムライン」を構成するアカウントは3つあり、男性、女性、そしてシュンくんという 12 歳の少年です。この少年はツイートや日記の原文を見る限り「筋金入りの軍国少年」であり、戦争の行方を心配しながらも神国日本のため頑張ろうと考えていたタイプの少年です。1945 年といえば1月に米軍がルソン島に上陸し、2月から硫黄島で凄惨な戦闘が行われ、3月に東京大空襲があり、4月には沖縄戦が始まり、知覧から特攻隊がバンバン飛び立ちそして帰らず5月にはドイツが無条件降伏し…と、戦況が良くなる要素が微塵もなかった時期です。このような状況下であってもシュン
くんは神国日本の軍国主義少年であり続けたということから、当時の翼賛体制や情報統制の恐ろしさが改めて感じられますね。


2.「ひろしまタイムライン」の構造


 「ひろしまタイムライン」は「もし 1945 年に SNS があったら」という設定ですが、他人との交流はいっさいありません。シュンくんと一朗さんがリプライでやりとりすることもないし、やすこさんが一朗さんをブロックするということもないのです

 「ひろしまタイムライン」は 8月5日、 そして 8月6日 にピークともいえる盛り上がりを見せます。「やがてくるカタストロフと、それがいつ起こるかを読者は知っているが、主人公はそれを知るよしもなく、カタストロフに向かう何気ない日常が描かれる」という手法に、みなさん覚えがありませんか?


──そうです。例の爬虫類です。

 あの手法と似通っています。

 毎日更新されること。

 やがて来たるカタストロフが読者のコンセンサスとなっていること。

 当人はそれを知り得ないこと。

 この構造で、カタストロフまでの日々が「しょうもない1日」から「かけがえのない日常」に、よりドラマチックに演出されるのです。


3.「炎上」の経緯


 8/20、シュンちゃんはこのようなツイートを投稿します。

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 いくつか連続のツイートで、戦後の混乱した社会を描こうとしています。ここで重く描かれたのが「朝鮮人」でした。「戦勝国」を名乗って横暴な振る舞いをする人たちという観点で描写されています。そこに描かれている感情はシュンちゃんの悔しさや憤りでした。「朝鮮人」の内面はついに描写されないまま、シュンちゃんがもつ「朝鮮人」への敵意が、そのままツイートされてしまったわけです。
 この描写について「朝鮮の人たちへの偏見を助長させかねない」と批判が集まります。事実、現代の日本には、この戦後の混乱期のエピソードを用いることで「朝鮮人」を憎んで自らの差別思想を強めたり、「早く日本から出て行け」などと排外主義を唱える一群の人びとがいるのです。そのようなレイシストにとってこのツイートは欣喜雀躍するほど嬉しいものだったでしょう。自分たちの差別意識や排外主義にNHKがお墨付きをつけてくれた、と。

 さらに、6月16日のツイートにも「朝鮮人」への敵意や蔑視が見られることが分かりました。


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 しかも、この6月16日のツイートにさらなる疑問が。


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 なんと、公開されている日記の原文には「朝鮮人」という語彙がまったく出てこないというのです。だとしたら、どうしてこのような特定の民族への敵意や蔑視がわざわざ書き足されたのでしょう?

 このような批判に対して NHK 広島放送局は8月21日の夕方にステートメントを出しますが、その内容の無さにさらに批判の声が高まったのでした。


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 「戦争・原爆の悲惨さや戦後の厳しい現実を、若い世代にSNSを通じて知ってもらう」

 「差別を助長しかねない」という批判に対して、「いや、これは若い世代に知ってもらうためですから」と、まるで答えにならない答えを堂々と掲載したわけです(現在は削除)。

 しかも、聡明な読者諸兄はすでにご存知あるいはご明察の通り、問題となった8月20日のツイートに関しては、元になった日記がないというのです「当時の日記を手がかりに」、「想像し」、「現代の言葉でつぶやく」というコンセプトだったのですが、ここに来て突然本人の手記やインタビューによる描写だったことが明かされます。

 このステートメントにより、「もしかしてシュンちゃんのモデルになった方(現在もご存命)は、今も差別意識をもった軍国少年の心のままなのでは?」という疑念まで生まれてしまうことになり、いよいよNHK広島放送局への批判は勢いを増すのでした。



4.あれはヘイトスピーチなのか?


 敗戦直後にはシュンちゃんがツイートしたような場面もあったのでしょう。それ自体をここで論じるわけではありません。敗戦直後の混乱期ではまともに法や秩序が機能していなかったところもありました。

 しかし、この「事実」は一面的なものの見方です。
 軍国少年として育ってきたシュンちゃんには「横暴な朝鮮人」はさぞかし腹立たしい存在だったのでしょう。この「事実」は現代のヘイトスピーチにつながっています。石原慎太郎の「三国人」発言にもそれがよく表れていました。先述の通り、「朝鮮人は敗戦後のどさくさでひどい行いをした。だからその子孫である在日コリアンは追い出すべきだ」などと差別的、排他的な主張を行う人がたくさんいるのです。

 一方で、「ひろしまタイムライン」では、本土の日本人が朝鮮から連れてこられた人たちに対して差別したり偏見を持っていたりしたことについて触れられてはいません。また、「朝鮮人」側から見た「事実」が一切提示されていないのです。1945 年の広島には朝鮮人もいましたし、原爆の被害を受けた人、亡くなった人も決して少なくはないというのに、です。

 つまり、1945 年の日本人を徹頭徹尾「被害者」として描写し、「加害者」としての側面はなにひとつ描かれていないのです。

 しかも、このツイートには何の注釈もつけられてはいません。手塚治虫の作品などが顕著かつ有名ですが、描かれた当時の表現をそのまま使うとガチ差別になるので、現代で再文庫化や電子書籍化されるときには、必ず注釈がついています。


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 たとえばこれは「アドルフに告ぐ」に添えられたメッセージ。「一部の描き方が人種差別を助長するものとの指摘がなされて」いることをハッキリと書いています。さらに「その声に真剣に耳を傾けねばならないと考え」ており、「あらゆる差別に反対し」ていることを明記。


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こちらは水木しげる漫画大全集の奥付。「今日の人権意識に照らす限り不適切と思われる語句や表現が含まれている場合」があることを明記。

 今挙げたふたつはいずれも昭和期の漫画に見られた差別的表現に向き合い、明確なメッセージを出しています。


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 しかし「ひろしまタイムライン」のツイートにはそれがありません。

 「現代の人権意識に照らすと問題がある」とか「差別を助長するものとの指摘」といった書き方ではなく、「現代では適切ではない表現・意見の分かれる内容」「事実誤認をしている場合」という極めて曖昧な表現に終始しています。こうして、1945 年の日本に確かに存在した差別意識が、剥き出しのままタイムラインに流されたのです。

 これではどんなに美辞麗句を並べようとも、歴史や人権、表現活動に真剣に向き合わず、民族に対する偏見を助長あるいは萌芽せしめる、真の意味でのヘイトスピーチであったと考える他にないのです。



5.学問的手続きはあったのか?


【何の注釈もなし】
 歴史を紐解いた表現物を人前に出すには、第三者にわかるかたちで引用の有無や注釈が必要です。しかしこの「ひろしまタイムライン」には何の注釈もつけられてはいません。
 原典となった日記は確かに存在するものの、「朝鮮人」に関わる一部のツイートは日記に記述が無かったのです。


 ここでは「朝鮮人」はいけ好かない連中として描かれています。
 当時のシュンちゃんにとってはそうだったのでしょう。
 セリフにある「ヨ」にも差別意識が表れています。漫画ではよく見られた「外国人のセリフの一部または全部をカタカナで表現する」手法は、外国人のイントネーションやアクセントを揶揄する表現です。

 「原文にない描写が一体どのようにして表れたのか?」
 NHK 広島放送局はこの疑問に対して「後年の本人のインタビューや手記による」とコメントしています。「日記をもとに想像」という最初のコンセプトはどこにいったのでしょうか。日記ではなく後年の手記やインタビューによるものならば、そこに注釈が必要だったのではないでしょうか。「朝鮮人」に対する敵意や蔑視が見られる文なのですから、なおのことです。
 つまり、この「ひろしまタイムライン」は最初から"どこまでが本人の体験したことで、どこまでが事実で、どこからが現代の想像によるものなのか"が一切わからない、およそ「歴史」に向き合うとは言い難い企画だったと言えるでしょう。


【歴史ではなく演劇】
 「ひろしまタイムライン」に関わるのはどんな人たちか?
 ツイートするスタッフを見てみると、歴史の専門家が一人もいません。監修をしているのは劇作家の方であり、サポートしているスタッフも地元広島で活動する役者さんです。

 この制作陣は、ツイートを作るために「役作り」をしていきます。それはどんなことかというと、「戦時中の追体験」でした。

  日記に描写がある「防空壕掘り」を実際にやってみたり、「軍人勅諭」を書き写ししてみたり、敗戦直前の日本の市民が体験したことを自分たちも実際にやってみて、人物の心情により近づこうとする──というものでした。これらはいずれも演じる人物に深くなりきるためのアプローチで、歴史を紐
解こうとするアプローチではありません。


 だからといって、劇作家の方や役者の方々がすべて悪いというわけではありません。彼らに求められたのは「演じる」ためのノウハウであって歴史学的観点ではないのです。最終的な編集の責任はもちろん NHK 広島放送局にあるのです。



6.官僚と政治家の関与が?


 「差別の助長である」と批判が高まっていた「ひろしまタイムライン」ですが、8月21日に新たな疑惑が出てきました。
 ひろしまタイムラインのツイートを作る人たちの中に、「リサーチ大好き公務員」の伊東さんという方がいらっしゃいます。この方が自身のFacebook でやり取りしていた内容が話題となりました。


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 この伊東さんは、広島市議会議員である豊島岩白氏にひろしまタイムラインのことを「開始前に相談」していたのです。その「相談」の中で豊島市議は「貴重なご意見」を伊東さんに授けたもようです。

 豊島市議といえば、広島で起こった大規模な汚職事件にも関わる人物で、なんとあの河井克行におカネをもらっていた議員の一人です。直球の収賄ですが、議員辞職することもなく、今も議員として活動しています。

 さて、公共放送の番組に関わる公務員に、収賄議員はどのような意見を述べたのでしょうか?
 「公共放送の番組内容に深く関わる人物が、市議会議員に相談して意見を求める。」
 これは、公共放送の番組内容に特定の政治家が関与する事態が起こり得る、極めて危険な構造です。ひろしまタイムラインの制作ガバナンスは一体どうなっているのでしょうか。


 もちろんこの情報だけでは「相談」の内容は分かりません。
 真っ当に平和教育の大切さを語り合ったのかも知れません。
 けれども、番組に関わる人物が、政治家に番組に関する意見を求めにいく時点で、制作ガバナンスはシッチャカメッチャカであるという他にありません。


7.まとめ


 まとめてみるとひろしまタイムラインには以下の問題があります。

・差別や偏見を助長しかねない投稿を行った。

・NHK 広島放送局は差別の煽動であることを認めていない。

・制作の過程に学問的手続きがない。

・特定の政治家の意見が、番組内容に反映されかねない構造であった。

・NHK 広島放送局はこれらについてきちんと説明していない。

 これだけの問題を抱えてなお、NHK広島放送局は「差別を助長しかねない」との指摘に向き合っていないのです。

 8月24日の「6月16日・8月20日のツイートについて」というステートメントでは、『「差別を助長しているのではないか」というご批判も多数いただきました』という表現にとどめています。

 また「現代の視聴者のみなさまがどのように受け止めるかについての配慮が不十分だった」とも書いていますが、この書き方は何の反省も感じられないものです。平たく言えば「俺たちはちゃんとやってたけど、まさかそういう受け止め方をするやつがいるとは思わなかったわ」と同義です。あの一連のツイートで実際に傷つき、不安になった在日コリアンの方がいるというにも関わらず。

 さらに文章の結びには「必要に応じて注釈をつける、出典を明らかにするなどの対応を取り、配慮に欠けたり、誤解が生じたりすることがないように努めます。」と書いていますが、このステートメントに対しては、「誤解が生じたりっていうのは一体どういう了見だ?」とか、「えっ、何の注釈もなく垂れ流しておいて、読み手のせいにするわけ?」と今まで批判していた人が怒りを通り越して呆れ返ってしまったのでした。


 そして、9月2日。

 奇しくも今日は大日本帝国が降伏文書に調印した"敗戦の日"、シュンちゃんはツイートを再開します。


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 「誤解」という語が消え、「差別を助長していると受け取られないよう努めます」という文が新たに表れました。まだ読み手のせいにしているきらいはありますが、一歩前進と言っていいかも知れません。

 とはいえ、これで終わったわけではありません。 

 NHK広島放送局にはまだまだたくさんの仕事が残っています。

 今回の制作チームを作ったのはNHK広島放送局です。劇作家の方や役者の方、そしてツイート作成に関わった高校生をはじめとするすべての方への謝罪が必要でしょう。結果を見れば杜撰な制作ガバナンスのせいで差別事象に巻き込んでしまったわけですから。また、特定の政治家の関与が起こりかねない構造に関しても調査と検証が必要でしょう。


 NHK 広島放送局が今後どのような検証を行うのか、どのようなコメントを出すのか、引き続きしっかり見ていくことが大切です。

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