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町の名前を覚えてもらうために色々考えを巡らせた時代。 2010年からの10年間は、2002年に開…
消え去った風景を次代へ届ける使命感。 私の基本撮影テーマは「写真は語る」。故・川本征紀…
臥龍淵雪景 2010年1月13日撮影 肱川水系随一の景勝地としてその美しさは藩政時代から受け継…
激暑の夏が遅ればせながら少しずつ去って行くようです。 初秋の気配を感じながらTシャツ一…
古希を迎え、自分の人生を振り返る事が少し増えた。 1998年から関わり始めた大洲のまち…
幕末、維新成就の舞台裏で活躍した大洲藩士。 私がよく使っている『肱川街道』という表現は…
観光地としての成功とは、多くの皆様方にお越しいただき相乗効果として経済的潤いが発生し、私たちの町が元気になってくれること。これは2002年4月創業の大洲市まちづくり会社「株式会社おおず街なか再生館」の創立取締役会で導き出した方向性だった。 1998年9月1日、中心市街地活性化検討特別委員会が官民合同の体制を組んで発足し、4年間の準備期間を経て大洲のまちづくりは始まった。当時は「道後温泉と内子護国町並み散策」を組み合わせた旅行商品は飛ぶような売れ行きで「発地型」の典型だった
若い頃から写真には興味があった。 画を描くことがことのほか下手くそな私の小学生時代、地…
「美しい春」を迎えた今年の大洲城 3月24日に撮影を始めて今日までに撮影した大洲城の写…
大洲のうかいは、国内開催と唯一の「合わせうかい」 開始されたのは1957年頃のことだで…
石畳つなぐプロジェクトの皆さんと交流をさせていただき、バックヤードからの応援写真家とし…
石畳地区、 現在の人口は約270人。いずれ100人を切ってしまうと言われているこの集落では、以前からその時代の青年達が「むらおこし」に携わって来ている。未来の子どもたちに夢を託しているのだ。 1990年6月のこと・・・ 水車精米により美味しい米の食べ方を再発見しようと、当時の若者12人に土地の提供者と大工さんが加わり、昔の記憶を辿りながら「むらおこし」の事業として造られたものだ。 背後に陣取る屏風のような標高896mの牛の峯から滲み出す、正に「清水」が集まる石畳。何