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当たり前の反対は

「ありがとう」の反対は「当たり前」であると、どこかで聞いたことがある。誰かに何かをしてもらって、普通はありがとうと言う。しかしそれが何度も何度も続くと、人に何かをしてもらうことを当然と思ってしまい、ありがとうと言わなくなる。つまり当たり前になってしまう。だから「ありがとう」の反対は「当たり前」なのだと。

この理論はなんとなく分かる。しかし「当たり前」の反対が「ありがとう」になるのはなんか違う気がする。類義語、対義語を検索せずに考えてみる。

五分ほど考えたが、全く出てこなかったのであきらめて検索をかける。
「当たり前」の語源は「当然」となっていた。そこで当然の反対語・対義語を調べると「意外」と出てきた。

まさに意外な結果だ。「ありがとう」の反対は「当たり前・当然」になり、その反対は「意外」になる。なんだこれは。もし近所の子供に話しかけられて、なぜこうなるのと訊かれたらなんて答えればよいのか。

小さなこどもにも分かりやすく伝えるためには、自分自身がそれを理解していないといけない。こんな厳つい中年に話しかけてくる子どもなどいないと分かっているが、一応考えておこう。

まず、

「ありがとう・有難い」とは、誰かに何かをしてもらった時に。こんなにも良いことをしてくれるなんて嬉しいという気持ちになる。だから感謝の気持ちを述べる「ありがとう」と。

↓これを反対にすると

「当たり前・当然」とは、誰かに助けてもらって。最初は感謝の気持ちがあったが、何度も何度も助けてもらう内に感謝の気持ちがなくなってしまい、ありがとうと言わなくなる。誰かに助けてもらうこと、何かをしてもらうことが「当たり前」になる。

↓これを反対にすると

「当たり前・当然」の反対は「意外」になる。それは例えば、椅子に座って休んでいると近くにいた人がコーヒーを淹れてくれた。そんなことをしてくれると思っていなかった。まさに自分にとって「意外」なことが起きた。

そのときに湧き上がる感情は「感謝」であるはず。その湧き上がる感情を言葉にすると「ありがとう」となるのだ。

だから「当たり前」の反対も「ありがとう」になる。

かなり無理矢理な理論になった気がするが、今の自分にはこれが限界かもしれない。

ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。

(写真:自宅の庭に咲いた草花。花の美しさは、当たり前でもよいと思う)

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