ジャメヴュ
「ジャメヴュ(未視感)」
見慣れているはずの光景や物事が、まるで未体験の事柄であるかのように感じられること。「デジャヴ」の反対
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ほどほどの田舎に住んでいるので、自宅の周囲は山に囲まれている。いや、一番近いコンビニまで歩いて30分はかかるので、相当な田舎かもしれない。
時々山の方に入っていき、慣れ親しんだ山道をのんびりと散歩する。最近は雨の日が続いていたので、この山散歩もご無沙汰になっている。
台風の影響で、大きな木が倒れて道をふさいでいたりするが、基本的には昔から変わらない山道だ。
しばらく前にその山の中を歩いた時のこと。そのとき感じた自分の心の動きは、今思い返しても理解しがたいものだった。
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2019年12月。自宅を出て山の方に歩いて向かった。いつもの山道に入っていく。枯れ木を踏みしめて、パキパキと心地よい音を聞きながら進む。
途中、ふと立ち止まり。道のない雑木林の方を見た。そう言えば中学のころ、授業をサボって何度かあの雑木林の中ですごした。
朝家を出て、学校には向かわずに、この山の雑木林に入っていき。少し開けた場所で、ビニールシートを広げて寝転びながら小説を読んだり昼寝をしたりしていた。
つい懐かしくなって、その場所に行ってみることにした。記憶を辿りながら、木々をかき分けて進む。
途中、獣道があった。鹿や猪が通る道だろう。草がトンネルのようになっている。
小川を越え、少し進むと、確かこの辺りだったなと思える場所にでた。木々の間のすこし開けた場所。そう、確かこの辺りでシートを敷いて過ごしたことがある。などと思い出に耽っていた。
周囲を見回すと、人工物が一切なかった。当たり前のことだ。山の中なのだから。
しかしなぜか突然、その事実が身震いするほど怖くなってきた。
慣れ親しんだ山の中。自分がどこにいるのかも分かっている。遭難などしていない。遠くの方に、自分の辿ってきた道も見える。なのに怖い。帰れないかもしれないと一瞬思った。背筋がぞくっとした。
でもなぜか、しばらくそこにいた。恐怖と懐かしさが混同していた。とても不思議な感覚だった。
夕陽の射す時間だった。そのとき見た木々や葉は、心を刺すような美しさだった。震える手で写真を撮る。
日が落ちる前に、呼吸を整えながら、草木をかき分けて家に帰った。振り返らないように。
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しばらく経ってから調べてみると、あのとき感じた感覚は、「ジャメヴュ(未視感)」という感覚に近いのではないかと思った。もしかしたら厳密には違うのかもしれないが、他に近しいものが見つからなかった。
「ジャメヴュ」は見慣れた光景や、物事がまるで未体験のように感じられてしまうことらしい。「デジャブ」の反対のような感覚だ。
なぜあのとき自分は、未視感に囚われてしまったのだろう。懐古と怖気が混じり合った、あの不思議な感覚。
しばらくして、その時撮った写真を見返しても、恐怖も懐かしさも湧いてこなかった。ただ、木々がある。草が、土がある。それだけの写真だった。
分かったことはひとつ。自分の心が分からない。ならば、人の心など、もっと分からないのだ。ということ。
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