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『アメリカン・サイコ』 感想

クリスチャン・ベールがノリノリで惨殺しまくる映画。

空虚の塊であるような主人公はアイデンティティを求めるかのように快楽殺人を繰り返していくのだが、それらは全て、自分自身で精一杯の、事なかれ主義の人々の目には映らず、彼は自身というもの全てがより巨大な空虚である社会の一部に飲み込まれてしまったことを知り、絶望する。

サスペンスホラーかと思えばスラップスティックコメディであり、スプラッターホラーのようであり、社会派ドラマでもある、ぐちゃぐちゃなその演出は勿論意図されたものであり、徹底的にこの作品自体が空虚なものであることを示す。

それにより、主人公の物語が、初めは連続殺人鬼によるサイコサスペンスのように語られるのだが、後半からラストに向けては突如不条理劇のようになる。

この辺りの不条理ドラマへの振り切り方が思いきっているため、鑑賞後、「よくわからない」という感想が目立つのだけれど、実は妄想夢オチなどではなく、そのようにも取れるだけであり、本当は、主人公の犯した殺人は全て現実に起こったことである。
ただ、周りの人間と社会全体が、それらの事件を、見たくない、関わりたくないが故に、全員嘘をついて、そんな事は「なかった」ことにしているため、事件が明るみに出ることもなく、主人公も逮捕されずに罰せられないのだ。

登場人物の誰か一人でも、「殺人事件を起こすあいつは許さない。私が何としても捕まえてやる」と思わない世界。

だけど、それらに眉をしかめる事は出来ても、彼らを責める事は出来ない。

俺だって、マンションの中で半裸の女が狂ったようにドアを叩き、その後ろから血塗れで全裸の男がチェーンソー振り回して追いかけてくるのを見たら、「早いとこ過ぎ去ってくれ」と思ってしまうだろう。
そんな風に思うことが間違っていると知っていてさえ。

本当のサイコは一体誰なのか、その意味がラストで一気に反転するのだ。

#映画 #映画レビュー

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