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『ズートピア』 感想

ウサギの警官とキツネの詐欺師が、連続失踪事件を捜査する映画。

アナウサギのジュディは、幼い頃から「警察になり、この世界をより良いものにする」という夢がある。

両親からは「そんな危険な仕事辞めて欲しい」と言われ、周りからは「ウサギに警察なんか勤まらない」と言われていたが、ジュディは諦めずに努力を重ね、警察学校をトップの成績で卒業し、ウサギ初の警官として合格し、ズートピアに配属されることになる。

世界をより良くしたい、と意気込むジュディに与えられた仕事は駐車違反切符係。

そんな仕事、と落ち込むジュディだったが、仕事は仕事。

そんな彼女の前に、アカギツネのニックが現れる。
彼は幼い子供のためにアイスを買ってやりたいのだが、「キツネに売るアイスは無い」と、店主に断られていたのだ。

その横柄な店主の態度に怒ったジュディはニックの親子を助けてやる。

しかしニックの正体は、詐欺師であり、ジュディの親切を自分の商売の儲けにしてしまう。

一方その頃、ズートピアでは連続失踪事件が起こり、既に被害者は十四人。
更に被害者は全員、肉食動物なのであった……

完璧な映画だった。
完璧過ぎて呆れる、と言って良い位に。

動物たちの楽園、ズートピアは、「誰もが夢を叶えられる町」で、そこには様々な種類の動物たちが社会を形成している。

勿論これは、様々な人種が集まって暮らす、我々の社会そのものであり、最も特徴として近いのは、「人種のるつぼ」「サラダボウル」などと呼ばれる、アメリカのニューヨークだ。

動物たちはそれぞれの特性を尊重しあいながら生きているが、それでも遠い過去、先祖たちは、捕食動物と被捕食動物の関係であった。

つまり、今もまだ動物たちは、潜在的に、草食動物と肉食動物はお互いが違う生き物なのでは無いか、と意識している。

小学校では、草食動物と肉食動物の歴史を子供たちに演じさせている。

勿論歴史を知ることで、「今はもう捕食動物も被捕食動物もないのだ」と理解することはできるが、同時に「自分と彼らは元々、違う生物なのだ」と間違った方向へ進んでしまう子供もいるだろう。

この物語でいうと、ニックの幼い頃の同級生たちがそうであり、ジュディの地元のガキ大将ギデオン・グレイがそうだった。

そして、そんな考えは馬鹿馬鹿しい、間違ったものだ、と知りつつもジュディもまた、「キツネ対策スプレー」を手元から離すことが出来ない。

彼女は幼い頃、アカギツネのギデオン・グレイに傷つけられたトラウマがあるのだ。

そしてその潜在的な差別意識は、ジュディがこの物語の中で最も輝かしい快挙を成し遂げたシーンで露わになる。

その時、ニックがジュディに指摘する、とあるジュディの行動。

「あれは、わかりやすい伏線で、いつか面白く使われるのだろうな」と思い込んでいた観客に対し、一度も使わないことでカウンターのようにショックを与える。

このシーンの強烈さはただ事ではない。
あからさまな伏線を、一度も使用しないことで、より強力な回収の仕方をするのだ。

そしてそれは同時に、その伏線が一番初めに「わかりやすく」貼られた時、あははは楽しいな、と笑っていた観客への痛烈な批判になっている。

笑っていた我々も、潜在的に差別していたことを知らされるのだ。

ジュディの明るさと前向きさ、可愛らしさを心から応援したくなっていた観客は、同じように応援したくなる賢くてユーモアのあるニックに、ジュディと同じタイミングで、徹底的に嫌われるのだ。

心底打ちのめされたジュディは、自分の潜在的な差別意識に気付いた末、彷徨う。
そしてその先で、一番初めに自分の心に傷をつけた者に再び出会うことにより、その過去の傷痕を回復させる。
同時に、連続失踪事件の本質に気付くことが出来るのだ。

その本質とは言うまでもなく、差別、決めつけ、思い込み、であり、それらを生み出す「弱い心」だ。

その動機に近付いた先で、ジュディとニックは、真犯人と対面するのである。

ちなみにズートピアには犬と猫が出てこない。
彼らはあまりに人間の生活に近すぎるから、出し辛かったのかも知れない。それか、犬猫はもう散々作品化されてるからもういいよ! ってなったのかも。

『ゴッドファーザー』オマージュ(というかまんま)のシーン笑った。
あと、『ブレイキング•バッド』。

ディズニーてああいうパロディみたいなの、今までやってたっけ? て思ってしまうほど。

完璧過ぎるので満点ではない。
という、天邪鬼な感想。

#映画 #映画レビュー

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