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『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』 感想 ※ネタバレあり

12軒のパブ巡りをやってるうちに、地球の危機に立ち向かう映画。

エドガー・ライト、サイモン・ペグ、ニック・フロストの最強三人組による『コルネ三部作』のラストは、これ迄と趣向を変え、サイモン・ペグがニック・フロストみたいな役をやることによって、物語の幅を拡げた傑作。

ゲイリー・キングは、高校時代の仲間と20年前、冴えない地元・ニュートンヘイヴンのパブ12軒を制覇する、パブクロールをしようとしたけど、それは叶わなかった。

『ワールズ・エンド』という12軒目のパブに辿り着けなかったのだ。
なので、再びチャレンジしようと仲間たちに声をかける。

ピーター、オリバー、スティーヴン、そしてアンディ。
もういい大人になった四人にしてみれば迷惑極まりないし、殆ど興味も持てない話なのだが、ゲイリーの気まぐれと思いつきに付き合わされるのはもはや我々の運命なのか、と、ブーブー言いながらもパブめぐりに付き合わされる。

だけど立派な大人になった四人と違って、ゲイリーは学生時代のバカな感じを今だに全力で行うので、四人はうんざりしてしまう。

それでも少しは昔を思い出し、何と無く楽しくなって来たりした中、五人はパブで少年に突然襲われる。絡まれたのかしら、ゲイリーがバカやってたからムカついたのかな? と、慌てるが、酒場の喧嘩なら慣れたもんだ、とみんなで少年を相手にすると、少年の首はパカーン、と割れて中から青い液体がブシャーと飛び散るので、五人は大変ビックリする。

なんと、少年はロボットだったのだ!
大変なことが起きましたよ皆さん、と五人がパブの人々に説明しようとすると、パブの客の殆どが少年と同じように目をピカーと光らせるではないか。

なんと、皆さんもロボットだったのです。

というか、ニュートン・ヘイヴンの町全体が、ロボットに既に乗っ取られているではないか。

一体何がこの田舎町に起きたのか?
五人は逃げようとするけれど、町中がロボットだらけで見つからずに逃げるのは無理だ。
その上、彼らはハイテクな通信監視システムでどこに隠れても見つけてくるではないか。
一体どうすれば?

その時ゲイリーはとても素晴らしいアイデアを提案する。

「ロボットに支配されてることに気づかないまま、酔っ払ったふりをしてこのままパブクロールを続ければそのうち逃げれると思う」

逃げられないと思う。
とは誰も反論できず、このゲイリーのとんでもないアイデアに乗るしかないのであった。
だって、確かにさっきまでは、ロボットに気づかないまま、普通に楽しくパブクロールできていたのだ。
気づかないままなら襲われないのは紛れもない事実なのだ。

病気だって見つかって診断されなければ健康、みたいなとんでもない理屈だが、意外とこの作戦は上手くいくのであった。

そしてようやくヒロインも一行に加わり、彼らの命をかけたパブクロールが始まる。
彼らは、侵略者たちから田舎町を取り戻せるのだろうか? そして、12軒目のパブ『ワールズ・エンド』には辿り着けるのか……

最高の映画でした!

サイモン・ペグ演じるキングは、おっさんになっても一人高校生の時のままの思考と行動で、かつての友人たちを閉口させるけど、その彼の行動は、いつしか大人になってしまった彼らにしてみれば、ひと時だけの、馬鹿になれる些細な時間なのだ。

それは、同窓会の時だけ当時のノリに戻れる学生に近い。
劇画オバQみたいな。

だが、それをよく思わないものもいる。

それがニック・フロスト演じるアンディで、彼はキングの最後の友達だったが故に、彼に対する憎しみも深いのだ。


※この先ネタバレあります。


キングは、かつての友に酷いことをした。そして、それを謝罪しないまま、月日が経ってしまった。

そんな彼に、かつての友が付き合う理由として、母の死が語られる。

キングは、母の死を理由に、かつての友を誘うのだが、なんと、それは嘘なのだ。

要するにキングは最低の奴なのである。

己の快楽のためなら、周りがどうなろうと気にしないタイプのアホなのだ。

だが、そんな彼だからこそ、自由を純粋に求めることが出来る。

変わってしまったのは世界なのか? それとも自分なのか?
という悩みは、常に我々にもつきまとう。
ゲイリーも二十年間それに悩まされてきたのだろう。

世界が変わるのなら、俺も変わらなければいけないのだろうか? 、と。

しかし彼は変われなかったし、変わることを拒否した。結果、彼は世界に馴染むことができず、酒に溺れアル中となってしまうのだ。
そして、アル中になってさえまだ、世界のために自分を変えることを拒む。
例えそれが地球のためであり、ひいては人類全体のためで有ったとしても、人間性をなくし、通信システムや最新テクノロジーに縛り付けられて自由をなくした人間は、既に人間ではない、そんなのは全くゴメンである、とキッパリと拒否をし、侵略者たちの誘惑を跳ね除けることが出来るのだ。

侵略者たちは地球の行く末を勝手に心配してイギリスの田舎町にやってきて、ここから地球全体を通信監視システムとハイテク機械で乗っ取り始める。
人間はもう必要ないので、肥料にしてしまい、地球の栄養分になってもらう。
そして人間の代わりにブランク(空っぽ)=ロボットが、働いたりウロウロしたりしていたのだ。

ゲイリーたちの知らない間に、地球はもうすっかり侵略されていたというわけである。

通信監視システムを基礎としたハイテク機械に支配されている我々、というのは決して映画の中の面白エピソードなんかではないことは、ちょっと町に出て電車にでも乗ればすぐにそれが現実であることは確認できる。
誰も彼もがスマートフォンでネットをしているではないか。

他に気付かない内に自由を奪われるメタファーとして、イギリスのパブがどんどんスタバ化してる、という描写に爆笑した。

『光る眼』パロディや、ボディスナッチャー物のオマージュとしても最高。田舎町が異星人に乗っ取られる理由もちゃんと描いてるし。

結果、侵略者たちの多大なる大きなお世話、を拒否したゲイリーたちは、呆れた侵略者達が地球を去ることにより、通信システムやハイテク機械の殆どを撤収され、中世位の文明レベルまで下がってしまうのだが、それでも生き残った人類は、未来に向けて絶望などしていなかった、というとても素晴らしいオチで終わってすぐにでもビールがたらふく飲みたくなる。

#映画 #映画レビュー

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