見出し画像

『ジュラシック・ワールド』感想 ※ネタバレあり

恐竜が人を喰う映画。

歌舞伎町のTOHOシネマズで、生まれて初めてMX4Dで観てきました。

マイケル・クライトンの原作小説『ジュラシック・パーク』からそうだったのですが、テーマは一貫して、「自然に逆らうと大変な目にあう」であり、今作もそいつを十二分に味わわせてくれたのでした。

そもそも、絶滅してしまった恐竜を現代に甦らせる、というのが無謀なのですよ。
パークのオーナーなんかは、「人間の小ささを知らしめてやるのだ」なんてもっともらしいこと言ってましたが、わざわざ絶滅した恐竜を蘇らせなくたって人間の小ささや傲慢さなんかは、今年に入ってからももう何度も感じていますよ。雨がたくさん降っただけでもう手も足も出ないんだもの。

でも自分が同じ目に合わない限り実感しないのが人間なので、ジュラシックワールドには毎日2万人を超える人々が世界中からわんさと詰めかけるわけです。

彼らは裕福な家の人達なので、ジョーズがモササウルスにパクリと食べられるところを見ても「うげー残酷」何て思わずに、やんややんや賢いね、と喝采するのです。

もちろんそれらは何ら悪いことなどであるはずがない。イルカショーで賢いイルカが食べる魚を見ても「魚が可哀想」などと思わないのと同じだ。

でも同じショーを見ていても、「イルカが可哀想」と思う人たちもいる。
彼らは、イルカは人間などに飼育されずに海で自由に泳ぐことの方が幸福なのだ、と考える善人である。
善人なので、うんそうだね、とやりすごしたくもあるが、イルカの気持ちが何であんたにわかるのさ。あんたイルカ? と思わずにはいられない。

だが今回の映画はイルカではなくて恐竜である。
一度自然に淘汰されてしまった生き物なのだ。それを蘇らせるということは、死者を復活させることと同じである。つまりこれはゾンビ映画なのですよ。

というわけでわくわく恐竜ランドことジュラシックワールドは、第1作目と同じように、あっという間に地獄の釜となるのです。ほらね、自然に逆らうとこういう目にあうのだ。

もちろん恐竜たちは何も悪くはなく、ただ生きているだけであり、悪いのは全て愚かな人類どもであるのだが、今作では、そんな愚かな人類が最悪の恐竜を造り出してしまうからまあ大変。
フランケンシュタインのような、自然の理に逆らって生まれてきた歪な化け物は、それでも綺麗な心を持っていた、なんて美談にはならず、ただただこんな私を産んだ人間が憎い。食う。と、大暴れするのです。

で、そんな化け物を生ませてしまったクレアは、甥たちを姉から預かりつつも面倒を見るのは拒否して自分のことばかりしていたのだけど、アパトサウルスの死を看取ることや甥たちの安否を気遣うなどで徐々に生き物を生み出した自分、としての母性が生まれ始め、ラストは化け物を生み出した母として、責任を取るべく、とんでもない行動に出るのであった。

このとんでもない行動のとんでもなさには、流石に映画観ながらも「いやそれ根本的に解決しなくないかな」とも思ったのですが、裏腹に心はものすごく盛り上がったし、その後の大騒ぎもイヤッホー! とただただ笑いながら楽しめたので大満足です。クレアのしたことは映画としては圧倒的に正しかったのだ。

で、生まれて初めてのMX4Dでしたが、初めのうちは「これ酔うかも」と不安だったし、足元を紙みたいなのでペシペシ叩かれたときは驚きのあまり声が出てしまったけど、ラストの大盛り上がりのためであれば全て良しとする。

というか、MX4Dは純粋に楽しい。高いけどな!

というわけで、主役であるクリス・プラットは顔が大きいだけで中盤まで大して活躍もしませんが、ラストでブルーのカメラを取ってあげることにより信頼を取り戻すという、え、それで良いの? とも思える活躍をするので良しとします。

そもそもあのカメラは戦争大好きクソデブが勝手に付けたものなので外さなければいけなかったのだ。
あ、あと、ラプトル4姉妹とバイクで走るシーンが笑えるくらいカッコよかった。甥たちも「超カッコいい」て言ってたし。

色々と粗はあれども、そんなことは気にならない痛快娯楽大作でした!

今後もこういう面白大作はなるたけMX4Dで観よう。

死ぬ程センスの良いポスター!

#映画 #映画レビュー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?