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『手紙は憶えている』感想 ※ネタバレあり。

認知症の老人がプルプル震えながらナチに復讐しに行く映画。

こう書くとおもしろアクションコメディ映画のようだが、ようだが、ってわざとそういう風に書いたから当たり前なんですが、実はそんなことはなく、アトム・エゴヤン監督の丁寧で可笑しい演出描写が緩やかに流れる静かな映画。

結構何書いてもネタバレになってしまうので、できれば観てから読んでください。

主人公のゼヴは、アウシュヴィッツの生き残りである。

彼は妻を亡くしてから認知症の症状が進み、一度寝てしまうと、それ以前の記憶がなくなり、妻がまだ生きていた頃の記憶に戻ってしまう。

そんな有様の老人が、もう一人の車椅子老人のマックスに「そそのかされ」、一人でナチスの生き残りに復讐の旅に出る。

マックスは車椅子で呼吸が困難なために外出が出来ないので、ゼヴに手紙を渡す。

その、記憶をなくしたゼヴに渡した手紙には、妻は死んだ、あなたは認知症です、私はマックス、あなたの友達です。私たちはナチスに復讐するために行動してる最中です。何かあったら私に電話をかけてきなさいね、的なことがキチンと書いてあるので、ゼヴは目覚める度にそれを読んで、あー、妻はもう死んでしまったのか、と目覚める度にひどく悲しむのだ。

これは大変辛い描写で、本当に見ていて心が痛む。

愛する家族を失うというのはとてもとても辛いもので、それを眠りから目覚める度に味合わなければならないのだ。

だからこそ、ゼヴはマックスの手紙に従いながらナチスに会いに行く。

彼ら二人は、アウシュヴィッツで、ナチスの野郎どもに愛する家族を殺されたのだ。

手紙にもキチンとそれは書いてある。

更にゼヴの腕にはユダヤ人認識番号が刺青されており、彼はそれを見る度に、復讐のことを思い出す。

それと、腕には他に、「手紙を見るように」とも自分で書いてある。忘れてしまっていても手紙を読みさえすれば何があったか思い出せるためだ。

これは『メメント』に対するオマージュなのかな。

で、その復讐すべきナチス兵は、ルディ・コランダーという名前で、アメリカに渡ってきており、現在もまだ生きている、という。

サイモン・ヴィーゼンタール・センターに調べてもらうと、その名前でドイツからアメリカに渡り、現在も生きている人物は、四人いるという。

ゼヴとマックスは、四人のルディ・コランダーに会いに行き、そいつを殺すまで旅を終えることはないのだ。

とある一人のルディ・コランダーの家で飼われていた犬の名前がヒトラーの奥さんの名前だったり、ダム放流の音が爆撃の音に聴こえたり、シャワーを浴びる姿がガス室に見えたり、随所にナチスの悪行を思い起こさせるシーンが挟まれる。

さて、憎むべきルディ・コランダーは今どこで何をしているのか?

ラストでゼヴは、ルディ・コランダー「本人」に出会う。

彼には家族がいる。

だが、ゼヴは彼を殺さなければならない。

何しろルディ・コランダーに、自分は家族を殺されたのだ。

これは復讐なのだ。

こうしてゼヴは、家族の眼の前で、復讐を果たすのだ。

それは、ナチスのやったことを、忘れさせてはいけない、風化させてはいけない。と、いう、マックスの呪いにも似た祈りであった。

虐殺された側は忘れることのできない、いつまでも憶えている、家族を殺された、という傷。

彼だけが、その事を忘れてこの後も生きながらえる、など許せるはずがない。

彼には、自分が何をしたのか、を、ハッキリと思い出し、愛する家族の眼の前で、その人生を奪わなくてはいけないのだ。

いつまでも、手紙は憶えている、のである。

ワーグナーの伏線はやられたなー。

これを書いている最近、あるアイドルグループの衣装が、ナチスのものに酷似している、と指摘があり、劇中にも出てくる、サイモン・ヴィーゼンタール・センターから抗議が発表され、所属レコード会社と、プロデューサーが謝罪する、という騒ぎがあった。

わざとやったか、やってないか、が問題なのではなく、ナチスによる虐殺の歴史を、知っているか、知ってないのか、という問題だと思う。

大好きなバンドにLaibachというスロベニアのインダストリアルバンドがいるのですが、彼らの方がよほどナチスにそっくりの格好をしている。

Laibach- Tanz mit Laibach (Official video)

でも、彼らが何故問題にならないのか(なってるけど)というと、それはもちろんバンドメンバーがナチスの虐殺の事をよく理解しており、それらをパロディとし、皮肉を込めて行なっていることがハッキリとわかるからだ。(更に言うと、彼らが皮肉を込めるのはナチスだけに限らない。北朝鮮とかにも同じことをする)

あと、Laibachは、ナチスの残党が月の裏側に逃げていて、地球に宇宙船で復讐にしくる、というとても面白いSF映画『アイアン・スカイ』の音楽も担当しているので、ナチスに対して意識的なことはこのことからも理解る。

日本のアイドルグループのメンバー、プロデューサー陣が「ナチスとホロコーストを理解した上で表現したわけではない」と、いうことこそが、問題になってるのだと思う。

風化させてはいけない、忘れてはいけない、負の遺産なのだ。


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