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僕の恩師vol.1 松代直樹GKコーチ

僕のGK人生を大きく変えてくれた恩師 松代コーチがいたからガンバに入りたいと思えた。松代コーチのおかげで代表候補にも入れた。見られてなかった3年間で成長できなかったのは僕自身。

このコーチに教えてもらいたい

出会いは小学5年生の大阪府トレセンでした。現役を引退して間もなかった松代コーチは僕たちの前でダイビングキャッチを連続して行ってくれたり見本になってくださり、プロを僕たちに伝えてくれました。

練習はとても分かりやすい説明でユーモアがあふれていて、毎回のトレセンがすごく楽しかったことを覚えています。

トレセンのコーチは1年間だけでしたが このコーチに教えてもらいたい そう思った僕は親に頼んでその年から新設されたガンバ大阪のスーパーエリートを受けさせてもらい、合格することができました。さすがにいないだろうと思いましたが、まさかの6年生の担当は松代コーチで心の中では「やったー!」と思っていました(笑)

そして半年後ジュニアユースの練習会に呼ばれ、合格をいただきました。

サッカー選手・GKに必要なことを叩き込まれた2年間

練習はよく見るステップワークやコーンやバーを使うメニューではなく応用のきいたメニューが豊富だった。毎日毎週違うメニューに僕は心技体だけでなく頭もついていかない日々が続いていた。それもそのはず、松代コーチの練習はFWやDFの役をGKがして、より試合に近い状況で練習するのでメニュー中は常に動いていて情報量が多く僕の頭の容量は毎日爆発していました。

GKはミスや失点でチームにかかわる人の未来を変えてしまうぐらい責任のあるポジション、そのポジションでプロを目指すなら本当に覚悟が必要だし必死にならないといけないことを教えてもらった。それを書き留めたのがこのノートで8割ぐらいが技術以外のことを書いていた。それぐらい毎日学ぶことが多くて新鮮だった。

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日によっては厳しいことも言われましたし、それ以上に自分ができてないことが悔しかったことを覚えています。ただ、僕は次の日に引きずるタイプではなかったし表情もあまり変わらなかったので、松代コーチは厳しい世界で生き抜くには性格も変えないとと考えてくれていて、僕の両親と話し合いをしてたそうです。また厳しいことを僕に言った日には親に連絡して「言い過ぎてしまったので、様子見てあげてください。」と連絡をしてくださっていたそう。

2年生で関西や中日本の選抜に選ばれるようになったけど、決してうまかったわけじゃなかった。1年の時と同じことを言われて、ほぼ毎日怒られてるような日々を過ごしてました。思い返せばそりゃ僕でも怒りたくなるわって思うようなミスをしたり、プロから逆算してるようには見えない日常生活の過ごし方をしていた。

えずきながら自転車をこいで練習に行ってたし頭ではわかってなかったけどきっと心身ともにきつかったんやと思う。

年末になると怒られる回数が増えて、話し込む回数が多くなった。「俺ぐらい言うコーチはおらんし、お前のこと考えてる人間おらんぞ」「次のコーチには…」噂には聞いてたけどU23に昇格するらしい。内心寂しかった。どれだけ厳しいことをされたり言われたりしても、3年目で練習も理解できてもっとうまくなれると思ってたから。

本当に期待されてたんだと今になってより思うし、こんなにのほほんとサッカーしてたらお前ほんまに本気なんかって僕やったら口に出してたはず。

中3~高2

今まで自然に入っていた喝を自分では入れれなくて、新しいコーチに甘えてた。それを証拠に代表候補に入ったのも一度だけで松代コーチに教えてもらってた後すぐだったから気持ちも落ちていなかった、成長スピードも格段に落ちてうまくなってる感覚がなかった。

この時に初めて松代コーチのすごさが分かったのと同時に自分じゃ解決できない弱さが分かった。

いつかの100回ノートでも書いたように高1から高2にかけて、僕は波がすごかったので成長も遅く、松代コーチが久しぶりに見に来た時には「まだこのレベルか」と思われたぐらいでした。

松代コーチともう一度練習がしたい

松代コーチともう一度練習がしたいと思う反面で中学の頃の怖さがトラウマになって、面と向かって話せないし見かけてもだいぶ委縮してました(笑)

3年生になってU23に絡むようになってTOPの練習に参加することもあって松代コーチと改めて練習することができました。その場ではプロの選手がいて自分たちにがっつり指導が入ることはなかったけれど、やっぱり頭使うし練習量が多いわけじゃないけど1つ1つのリアリティが高く強度も高い。
やってて楽しいし、試合にも近いのでシュートをバシバシ打つのではなくてクロスボールの対応やDFの背後のケアなど判断の多い練習がメイン。

正しいポジションから正しい判断でプレーする

プロの選手もここまで頭使う練習は他にないしコーンやバーを使わないフィジカルメニューがこんなにあってすごいと絶賛していました。

しかしU23のGKコーチが負傷して松代コーチが見てくれるってなると、4年前に言われていたことと全く同じことを言われてやっぱり自分変われてないなと思うことが多々ありました。

でも話す機会が増えたことでトラウマは払しょくしたし、何が足りてないとか大学行ってどうしたいんや?などといっぱい話すことができました。

年末にはU23のベンチ外になったらTOPの練習に参加させてくださり、得られるものはすべて得て行けと言わんばかりにたくさんアドバイスしてもらいました。

最後に

GKコーチになりたい学生で名前を公開して初めに電話をくれたのが松代コーチで大絶賛してくれた。100回ノートも見てくれていたそうで、頭は松代コーチに似たことを考えれているそう。「後は体と連動させるだけやな新潟行っても頑張りや」この一言で100回続けてよかったなと思えた。

結局記憶は美化するらしく僕はあのめっちゃ厳しかった中学2年間が1番充実してたと思うし、本当に悔いが残る6年間だったなと本当に思う。

それを証拠に卒団式で流した涙は6年間の惜しさと松代コーチに恩返しできなかった惜しさの涙で、見返すために新潟医療福祉大学に進学した。このnoteを書いていて3回は思い出して泣いたし、もっと本気でやろうと思えた。

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今回のサムネイル写真にもあるように僕はめちゃくちゃなセービングでめっちゃ下手なGKだった。でもきっかけを与えてくれた松代コーチのおかげで高いレベルでプレーしてこれた。長くお世話になったガンバ大阪を出たからには次あったときに変わったなと見返せられるように、プロになっていつかの焼肉代を倍にしてご飯に行って恩返しできるようになる。

僕の人生を変えてくださりありがとうございました。





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