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樋口毅宏「タモリ論」近藤正高「タモリと戦後ニッポン」タモリを語ることの難しさ -書評vol.7

今回は樋口毅宏「タモリ論」と近藤正高「タモリと戦後ニッポン」の2作。この2作からわかることはタモリを語ることは非常に難しいことである。TVに目を向ければいつでもいる存在だったが、タモリはいつでも謎の存在だ。

2013年10月22日、「笑っていいとも」の終了が宣言された。それを境にタモリ解説本は多く出回った。それ以前に終了宣言の約3か月前、2013年7月20日「タモリ論」は世に出た。
「タモリ論」は著者樋口毅宏が自称するように熱狂的タモリファンによるタモリ論である。タイトルは「タモリ愛」が近い。タモリ以外のBIG3にも触れ、ファンが集まってああでもない、こうでもないというのを文章にした感がある。

正確なデータ、引用は明記されず樋口氏の記憶を頼りに構成されている。Amazonレビューでも以下のような酷評が目立つ

「大学生が書いた文章みたいだ」
「ある種タモリにまつわる雑学を居酒屋で聞かされてるようでした。」

樋口氏の言葉を借りるとタモリの凄さを感じる瞬間-「タモリブレイク」の時期は人によって異なるが、自分のタモリブレイクやTV番組の記憶が甦る。

一方「タモリと戦後ニッポン」は2015年8月19日という「タモリを語る熱」が冷めた時期に世に出た。筆者の近藤氏はタモリファンではなく一歩引いた目線でタモリを語っている。敗戦の1週間後に生まれ、ボーリング場支配人、保険外交員を経て芸能界デビューしたタモリと日本の戦後史をシンクロさせ、なぜあの飄々とした感じが生まれたかを満州出身という事実から読み解いている。


「笑っていいとも」の終了が宣言された時、はっきりと宣言されたわけではない。

鶴瓶の発言がきっかけだった。

「いいとも終わるんやって。ほんまか!?」

タモリが山下洋輔に「発見」された時のように、突如、どこからともなく現れて消えていく、そういった象徴的場面だった。

この2作を通してもタモリは語りつくせない。タモリは見る人によって印象を変える。ある時はイグアナ形態模写であり、四カ国語麻雀であり、ハナモゲラ語を操る「芸人」である。

ある時は「世界は音楽だ」「笑っていいとも」「ミュージックステーション」を仕切る「司会者」である。

赤塚不二夫葬儀の弔辞の一言一言の知的さは「文化人」である。

これだけ芸能やTVのド真中にいても正体不明なのがタモリなのだ。きっとタモリが死んだあとでも謎のままであろう。


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