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実家の犬がしんだ

小さい頃、犬の図鑑を見るのが私の日課だった。
最初はずっとミニチュアダックスフンドが好きで、犬を飼いたくて飼いたくて、ニンテンドックスでシュミレーションを重ねる日々を送っていた。

小2、一軒家に引っ越して、犬が飼えるようになった。そんなの飼うしかない。両親にお願いして、家族でパソコンで仔犬のサイトを見た。

最初はわたしの大好きなミニチュアダックスを探していたのに、ひょんなことから生まれたてのコーギーの仔犬を紹介された。
座るのもやっとみたいに、重そうな頭を傾けながらこっちに顔を向けて撮られた写真は今でも思い出せるくらいかわいかった。

『この子にしよう!!!』

そう決めて、受け入れるまでの日々はウキウキだった。群馬県から地元まで飛行機で輸送されてきたわんちゃんを迎えに行った日は今でも覚えてる。

小さい黄色いカゴに入った小さな命がかわいくて、家に連れて帰る途中でもう名前も決まって。

ここまで書いてみたけど、15年くらい前なのによく覚えてんな私。

そして、そんな私の愛犬が、しんだ。

5年前に実家を出てからは帰省したタイミングでしか会えなくなった。
かろうじて、コロナで引きこもっていた大学2年生の3ヶ月間くらいは毎日私の昼寝の相棒をしてくれた。
なつかしいなあ。

今年の5月末くらいに、ずっと万全とはいえなかった体調が急激に悪化して、丸2ヶ月ほど入院生活を送っていた。犬の入院が2ヶ月だなんて聞いたことなかったけど、とにかくその後1ヶ月弱ほど家に連れて帰ってあげられたことが今思えば奇跡だったのかもしれない。

地元までは新幹線で4時間、なんのサポートもできなかったけど共働きの両親が犬のケアを本当に頑張ってくれた。

亡くなる1週間前、長期休暇で帰省して、4日間はわたしも愛犬と過ごすことができた。もうガリガリで、まともにあるけてなくて、生きてるだけで苦しそうな姿をみて、私もすこし辛くなった。それでもごはんをたべて、寝て、ひとつの命が頑張って生きてくれてることが嬉しかった。

そして昨日、病院で息を引き取った。
14歳と5ヶ月。愛犬の闘いは終わった。

天国できっと、走り回って、イタズラして、いっぱいご飯盗み食いしてるんだろうな。

最後はまともにご飯も食べられなかったみたいで、本当に可哀想だった。悲しいけど、少しは楽になれたのかなってホッとしてる自分もいる。

命の重みをいま改めて感じている。
この世に生まれたら動物は必ずいつか死ぬ。
そのいつかが、それぞれ違うから、その時が来た時に後悔しないように生きていかなければいけないのだと思う。

大好きな私の相棒。
私たちの家族になってくれてありがとう。
一緒に過ごした日々をずっとずっと忘れないよ。

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