絶望を語る発達障害・希望を持ちたい発達障害

こんにちは!強くなりたいアライさん(ツヨイさん)と申します。
最近発達障害界隈で「発達障害で障害者雇用で安心して働けると言った人は見たことが無い」と言ったツイートが拡散され、当事者同士で話題になりました。「やっぱり発達障害は不幸だよね」って意見をする人もいれば、「発達障害はムリだとか決めつけんな」って意見をする人もおり、両者で衝突になる事もありました。
実際発達障害界隈では今回に限らず、意見が分かれて衝突になることが度々ありますし、私が見る限りその衝突は収まる気配は無さそうです。
本日はそんなの衝突した理由と、それぞれの気持ちについて考察したいと思います。

〜本題に入る前に〜

筆者は「やっぱり発達障害は不幸だよね」と言った当事者と「発達障害は不幸だって決めつけんな」と言った人とどちらが正しいかを決めるつもりは無いですし、タイプの違いでしかないと思っています。この記事を見て、「やっぱり〇〇タイプはダメだ」という事は極力避けていただきたいと思いますし、私もフラットに両タイプを見ていきたいと思います。

衝突する理由は「〇〇したい」という気持ちの方向にある

「発達障害は不幸だって決めつけんな」と言った人は何故発達障害はムリだと言った赤の他人に苛立つのか?それは、「発達障害だってやれば出来ると信じたい」からです。発達障害でもやれば出来ると信じたいと思った中で「発達障害は不幸だ」と言われると「信じたい気持ち」をへし折られた感じがして嫌だったんだと思います。彼らは、「希望を持ちたい発達障害者」なのです。
じゃあ、「やっぱり発達障害は不幸だよね」って意見の人は何故「無理だ」って意見を発信し続けるのでしょう?それは、「発達障害によって生じた自身の苦難や絶望を共有したい」からです。「ただ自分一人が人生終わってて、何を得られなかった」よりは、「絶望的な状況なのは自分ひとりじゃないと分かる」だけでもまだ気持ちの面では救いになりますからね。彼らも限界ギリギリなので、絶望を吐露した時に「発達障害は不幸だって勝手に決めつけんじゃねーよ」って批判されたら辛いと思います。彼らは「絶望を語り、共有したい発達障害者」なのです。
つまり、同じ発達障害同士でも「(発達障害でも)〇〇したい」という気持ちの方向が逆向きなので、剥き出しのまま自分の意見を言うと別の人の考え方を間接的に否定しまうと。コレが発達障害同士の衝突の要因です。「発達障害はムリ」と言って発達障害同士で絶望を共有しようとすると、「希望を持ちたい発達障害」を否定してしまうし、「発達障害だからといって不幸だなんて思うな」と言って何とか発達障害に希望を持とうとすると、「絶望を語り、共有したい発達障害」を否定してしまう。ココが発達障害同士での語りを難しくしてると思います。


〜衝突を無くすことは出来るの?〜

結論から言うと、衝突を無くすことは不可能だと思っています。さっき上げたそれぞれの発達障害に対する気持ちは「本人にとって譲れないもの」ですし、その譲れないものを否定する意見を全てかわせるようになるのは難しいと思います。しかし、衝突を緩和する方法ならあります。

〜衝突を緩和させる方法〜

⚫主語を極力「私」にして話す(Iメッセージ)
今回の衝突の根本原因は、当事者自身の「(発達障害でも)〇〇したい」という気持ちの方向が真逆なせいで別の当事者を否定した事です。「あくまで私の場合の話だよ」という事を伝えれば別の当事者の「(発達障害でも)〇〇したい」という気持ちを否定されたと感じにくくなります。「私」を主語にして話せば相手に「本人の話」をしているのであって自分の事は言ってないと思ってもらいやすくなります。

と、言うわけで本日はここで終わりにしたいと思います。コロナで大変ですが、皆さんの無事を祈っています。それでは次回お会いしましょう〜。

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