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「遺心伝心note」で伝えたいコト

【風景写真家 萩原史郎の 遺心伝心 noteは2023年7月25日をもって閉鎖いたしました。】

▲こんにちは!

 風景写真家の萩原史郎です。風景写真を撮りながら、写真誌への寄稿、写真コンテストの審査員、写真教室や講演会の講師、写真クラブの例会指導など、幅広く活動を行っています。

 約20年ほど前、写真誌の編集者からフリーランスとなり現在に至っていますが、今回「note」を始めることによって、これらの活動に加えて、新たな発信に挑戦することにしました。noteの名称は「遺心伝心note」。その理由は……。

▲「遺心伝心note」とは何か

 変わらないものはあるのでしょうか?
 信じられるものはいったい何でしょう?

 社会は不変ではなく、何かの拍子に昨日までの日常があっさり否定され、別なものに変容することを2020年、そして2021年の今、全世界が経験しています。

 人はある日、なんの予告もなしに役割を解かれ、意志や希望に反して命を終えることがあります。その人がやりたかったこと、言いたかったこと、遺したかったもの、育みたかったことの真実は、今や想像の彼方です。

 私にはいつか実現したいと思うことがいくつもあります。ただ、その「いつか」を信じるわけにはいかなくなりました。そんな「いつか」など、新しい社会の仕組みや様式が許さないかもしれません。そのために予定していた時間が、一瞬のうちに失せるかもしれません。

 こんなあやふやな世界の中で、足元がおぼつかない人生において、失われないものを、そして信じられるものを遺したい。そう、強く思うようになりました。そのために「遺心伝心note」を始めることにしました。

 計画段階では「終活note」にしようかと考えたのですが、さすがに刺激が強いと思い、試しにまわりの意見を聞いてみたら、案の定一蹴されました(笑)。そこで練り直したものが「遺心伝心note」です。もちろん「以心伝心」という言葉をベースに作った造語です。

▲コロナ禍の今…

 さて冒頭で書いた文、少しわかりにくいですよね。そこをもう少し具体的にお伝えしてみます。

 一つ目。2020年から2021年にかけて、100年に一度といわれる新型コロナウイルス感染症に襲われ、社会が従来までの機能を失い、新しい形へと変容しています。社会がこんなにも変わることなど、正直に言えば想像だにしていませんでした。

 それまで、人と挨拶をし、握手をし、打ち合わせをし、和やかに会食をすることに疑問など持ちようもなく、ましてや息を吸うことや吐くことに罪悪感を抱いたり、時と場合によってはその行為を躊躇することになるなんで、それまでの社会では想像の範疇にない出来事です。

 社会は瞬く間に、人との距離を保つことを強制し、それができない仕組みの場所は弾くようにかじ取りされています。その方法論が正しいのか間違っているのかは、もはや問われません。

 世の中は不変ではない。変わるんだ。変わらないと弾かれるんだ。スピード感を持って変わらないと、これからの社会において行かれると思い知るわけです。

 自分を変える、挑戦している姿をリアルタイムで示す、そのためには即時性のあるツールを使い、体系的に発信していく必要性を感じました。そのためのツールとして「note」を選びました。

▲肉親を亡くし…

 二つ目。私には唯一の兄弟である弟がいましたが、2020年4月2日に急逝しました。なんの前触れもなく。彼が青写真を描いていた生活も、決まっていた仕事も、やろうとしていた事業も、なにもかもを残して。

(弟の詳細については今は省きます。いずれ、noteに書きます)

 ただ、私が兄で、彼が弟だから、私が先に逝くものだと信じていたので、それがあっけなく覆ったときの衝撃は筆舌に尽くしがたいものでした。若い弟でも突然、命が奪われることがある。年上の私にそれがいつ襲ってくるかわからない、この当たり前のことを強く思わざるを得ませんでした。

 そうであるなら、遺すべきものを遺さなくてはならない。後に繋いでいかなければならない。そうした発想に繋がるのは、自然な成り行きでした。

 これまで20年に渡り蓄積してきた写真に関する数多の経験や知識、方法論は、多くの写真誌への寄稿、ハウツー本の制作、メーカー系のセミナーや講座、写真クラブ例会の講評といった形で伝えてきましたが、あらためて「体系的に文と写真で遺す」ということにトライすることにしました。

 そのための発信基地が「遺心伝心note」なのです。

▲「遺心伝心note」にお付き合いください

 なにぶんにも「note」は使い慣れていないため、使いこなして、軌道に乗るまでには時間がかかるかもしれません。その点、お目こぼしのほどを。むしろ、アッチへ行ったり、コッチヘ戻ったりと、私が右往左往する現場も素直に公開していきます(笑)。

 具体的な内容にも触れておきます。

 「ホーム」には、どなたにもご覧いただける記事を書いていきます。日記のようなイメージと思ってください。日々の雑感、報告、伝達などを気軽に読んでいただけるページです。

 「サークル」には、ご参加(有料)いただいた方だけに向けた限定的なコンテンツを発信していきます。「遺心伝心note」の柱はこちらです。開始時は「遺心伝心note:Standard」を開設。ここには私が遺したいと考えていることを、写真と文(1000字から3000字程度 ← 300字ではなく3000字です←内容によって変わります。1000字以下の短文と写真の連続投稿もあります)で配信しますが、以下のような内容を予定しています。

 ※ 新作の公開、新テーマ作品の公開
 ※ 既発表旧作の詳細解説
 ※ 萩原流の撮影作法や写真の心得
 ※ 撮影行の回顧録
 ※ 現在進行中の制作物やイベントのメイキング
 ※ カメラなど機材の使用感
 ※ そのほか日々の雑感も含め色々……

 つまり、過去に生み出した作品のこと、20年のうちに蓄積した撮影に関するアレコレ、現在考えていること、未来に仕掛けたいこと、写真への想い、日々の行動など、これまで表には出していなかったアレコレを、サークルにご参加いただいた皆さまにはいち早く、あるいは皆さまだけに公開していきます。

 この「note」の「サークル」には、3つまでのプランを設定できるようです。ご要望があれば、あるいは機が熟せば、サークルにご参加の皆さまの作品へのアドバイスや添削を行ったり、オンラインを使ったコンテンツを含んだプランを追加することも視野に入れています。

 以上のように、いくつもコンテンツを用意しています。作品の解説や撮影術、撮影行の回顧録といった類のものは、結果や経験といった「過去~現在」を語るものです。一方の制作物やイベントのメイキングなどでは「現在~未来」を伝えます。

 いずれも「遺心伝心 note」のサークルにご参加いただいた皆さまだけに向けた限定コンテンツです。

 正直、何がどうできるのか、まだ模索中ですが、とにかく「遺しておきたいことは確実に遺す。伝えたいことは正確に伝える」がモットーでありコンセプトの「遺心伝心note」。ぜひ、お付き合いください。

▲「遺心伝心 note」との付き合い方

 さて「遺心伝心note」との付き合い方ですが、「写真を見る、文を読む」が基本です。メルマガのように気軽に写真を見て、文を読んでいただければ、必ず得るものがあるようにしています。まずは見るだけ、読むだけで「遺心伝心note」を楽しみ、ご活用ください。

 この先、Webを活用したり、リアル対面するようなコンテンツが増えることもあります。その場合も「遺心伝心note」のベースは「写真を見る、文を読む」にあります。将来、プラスαの付き合い方をしたい場合は、無理のない範囲でご参加を検討してみてください。

 それでは、よろしくお願いいたします。

いつも萩原史郎の活動を応援していただき、ありがとうございます。頂戴いたしますサポートは、萩原史郎の更なる前進のため、活動費や取材費として使わせていただきます。その成果は、この「遺心伝心 note」でご覧いただけるよう、努力いたします。ご協力のほど、お願いいたします。